タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/08/29

人懐っこいラオス人比丘Kさんのこと


私は、チェンマイの山奥の小さな森のお寺で出家をさせていただいた。


小さな森の修行寺であるから、比丘の数もほんの数えるほどしかいない。



そもそもが修行寺だ。


一日中、誰ともしゃべらない。


言葉を勉強するためには、やはり不向きである。



ビザの更新をきっかけに、住職と私のお世話をしてくだった瞑想指導の先生との計らいで、チェンマイ市内にある町のお寺へと出ることになった。



引っ越し先であるチェンマイ市内のお寺は、ターペー門という有名な観光スポットから歩いて行ける距離にある下町の小さなお寺である。


このお寺は、私の出身大学に関係している先生から紹介していただいたお寺で、右も左もわからないタイの地で、一人で生活をしていく第一歩を踏み出すこととなった思い出深いお寺となった。



大変人柄のいい親切な比丘ばかりで、忘れることができないお寺だ。


こじんまりとしていて、とても静かな雰囲気ではあるのだが、近所の人たちが入れ替わり立ちかわりお寺へと顔を出すような、大変人情味溢れる下町のお寺である。


みんなお寺の近所に住んでいる人たちばかりで、毎朝食べ物のお布施を届けに来たり、ワンプラの日には必ずお寺へと通ってくる。


そのような状況であるから、私は、すぐにみんなと顔見知りになった。






ワット・タートルアン(ラオス・ヴィエンチャン)

ラオスで最も格式の高いお寺で、ヴィエンチャンの有名な観光名所のひとつともなっている。このお寺へも私を案内してくれた。






チェンマイ市内には、比丘が通う仏教大学のチェンマイ校が2か所ある。


(マハーチュラロンコーン仏教大学(マハーニカイ)とマハーマクット仏教大学(タンマユット)のチェンマイ校の2校。)


比丘の学生たちは、市内のお寺から大学へと通うのである。


私が滞在したこのお寺は、そんな学生たちの学生寮的な性格を有している。



お寺で私と親しくしてくれた比丘の一人であるKさんは、ラオスからの留学生で、お寺から大学へ通っている。


タイの仏教大学の卒業資格は、ラオスにおいても“大卒の資格”として通用するのだという。


そのため、タイへ留学に来るのだそうだ。


そうしたラオスからの留学生がチェンマイ市内に数名いると教えてくれた。


実際に、市内の別のお寺に“下宿”している、Kさんのラオス人の知人に会わせてもらったことがある。



さて、ラオス人比丘Kさんも、私のビザの更新と重なって、ちょうどビザの更新が必要となるため、一度、ラオスへ帰国しないといけないということで、一緒にラオスへと行くことになった。


お寺を出て外出(外泊)をする時には、住職の許可を得なければならない。


Kさんと一緒に住職の部屋へと行ったことを覚えている。



Kさんは、私よりもいくつか若い。


詳しく年齢を尋ねてはいないのだが、私は、当時25歳で、Kさんは比丘で、学生だったことから、おおよそ20~25歳であったのではないかと思う。


しかし、(Kさんに失礼かもしれないが)まるで少年のような心の持ち主で、年齢を思わせない大変無邪気な性格で、人懐っこく、本当に私に対してとても親しく接してくれた。



Kさんは、ラオスの首都・ヴィエンチャンにほど近い村の出身で、私とKさんは、Kさんが出家をした村のお寺で宿泊することとなり、ビザが発給されるまでの数日間を過ごした。


おそらく、彼は、村では大変なエリートなのだろう。


タイの大学へ留学すること自体が難関で、選抜された人物なのだと思う。


それを感じたのは、Kさんのお寺でのことであった。



日本で言えば、朝礼のような場面だ。


食事前の訓示とでもいうのだろうか、久しぶりに帰ってきたであろう自分のお寺にいるたくさんのサーマネーン(沙弥・未成年の見習い僧)たちを前に何やら話を始めた。


朝食前とはいえ、その雰囲気から、少々かしこまった場のようで、隣には年齢も相応の貫禄のある住職が座っていた。



その時の姿は、それはそれは大変堂々としており、いつも私と接しているKさんではなかった。


訳もわからずに、ちょこんと座っている私がどこか場違いな気がした。


(後日、調べてみたところ、やはりタイへは容易に留学することはできないらしく、それなりの選考があるようである。おそらく私の推測した通りであるのだと思う。)






Kさんとともに過ごしたチェンマイ市内のお寺。
私は、ここでタイ語を学んだ。





そんなKさんとは、チェンマイからヴィエンチャンまでの往復の夜行バスで、ずっと隣の座席であった。


夜行バスに揺られている間中、ひたすら夢を聞かせてくれた。



英語を活かした仕事に就きたい。


将来的には、日本へ行って仕事をしたい。


だから、今、頑張って勉強に励んでいるのだ。



そのように、ひたすら私に語ってくれた。



夢を語ってくれるのは嬉しいのだが、夜行バスの中である。


そろそろ眠たくなってきても、なお熱く語って来るKさんには、少々困ってしまった。


熱く語る姿は、とても素敵ではあるのだが・・・。



眠ったら眠ったで、私の方へと倒れ込んでくるものだから、これまた困ってしまった。


話し疲れてしまったのだろうか。


押しても、押しても、こちらへと倒れ込んでくる。



しかしながら、全く憎めないのがKさんなのだ。



Kさんが出家したお寺では、あれほど堂々としていた彼であるが、チェンマイの私たちのお寺では、一番後輩の比丘となるため(一番下は私であるが)、お寺の作務のことなど、先輩比丘たちからいろいろと教えてもらったりと、なかなか余裕がない様子であった。


また、毎晩、今日は母親に、今日はお姉さんにと、毎日のように手紙を書いていた。


私はと言えば、何か月に一回程度、無事を知らせる連絡を日本の実家に入れる程度であるため、随分と寂しがり屋さんなのだなあと思ったものだ。


瞑想や仏教に関しては、あまり関心がないようで、Kさんと瞑想や仏教に関する話題を交わしたことはあまりない。


一方で、非常に勤勉で、深夜まで手紙を書いているか、勉強をしているかのどちらかであったことをよく覚えている。



帰国前にチェンマイのお寺へ挨拶に行った時に会って以来、Kさんとは会っていないし、連絡もない。


帰国後、日本からラオスの彼の実家へと手紙を出したのだが、全く返信が返って来ない。


郵便事情が悪いらしい話を聞いてはいたのだが、やはり気になる。



その後、きちんと大学を卒業したであろうか。


今も、元気でやっているだろうか。


まだ比丘を続けているだろうか。



Kさんも私と同じく、いい年齢になっているはずであろうから、おそらくどこかで大いに活躍しているに違いない。


何と言っても、Kさんは、村の期待の星だ。


Kさんの無事を願うとともに、いつか再会を果たしたいものだと、ひとり空想の世界に遊んでいる。




(『人懐っこいラオス人比丘Kさんのこと』)









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