タイで出会った人の中で忘れることのできない人物の一人が、チェンマイ市内のお寺でともに過ごした先輩比丘Bさんだ。
実は、私と同い年なのだが、少年の頃から出家をしているので、出家者としては、すでに大ベテランの比丘である。
Bさんは、マハーチュラロンコン仏教大学を卒業していて、英語の教員免許を取得しているそうだ。
将来的には、アメリカへ行きたいのだという夢を私に語ってくれた。
そうした夢を叶えるためなのだろうか。
お寺の境内を通りかかる西洋人観光客を捕まえては、境内を英語で案内しながら、日々、英会話の腕を磨いていた。
「お前ももっと積極的に英語を話せ!」と言われたのだが、なにせ私は英語ができない。
中学・高校で、英語を学んだはずなのに、全くモノになっていないとは、なんとも情けない話ではないか。
そんなBさんは、大変真面目で、とても綺麗好き、かつ几帳面。
非常に信頼のおける人柄だ。
私がタイ語を学びたいのだということを伝えると、毎日、午後1時に境内の一角にある机に集合して、掃除が始まる午後4時まで、私はタイ語を、Bさんは英語を勉強しようではないかと提案してきた。
もちろん、私は、二つ返事で承諾した。
以降、私がこのお寺を出るまで、私はタイ語を、Bさんは英語を毎日勉強した。
私にとっては、大変助かった。
言葉の勉強などおおよそ一人でできるものではない。
おそらく、Bさんも英語の勉強時間が欲しくて、双方の利益が一致したに過ぎないのだが、これほど親身に付き合ってくれたBさんにはとても感謝している。
その他にも、ビザに関する書類を記入してくれたり、何かと親身になって私を助けてくれた。
ともに過ごしたチェンマイ市内のお寺。 このお寺の境内で私はBさんと一緒にタイ語を学んだ。 |
Bさんは、仏教の海外伝道師の資格も取得しているため、仏教に深く通じている。
そうか、だからアメリカへ行きたいというのが夢だったのか。
タイの詳しい仏教事情についても、たくさんのことを教えてもらった。
やってはいけない危険な瞑想があるという話は、大変興味深いものであったし、修行をしたいのなら、やはり森林僧院でワット・ノーンパーポンだとすすめてくれもした。
初めから森林僧院が目的だった私にとっては、ますます私の目的に対する確信を得るところであった。
Bさんは、私と同い年だということや、実は、私も学生時代に教員免許を取得していたことなどから、いくつもの共通点があって、どこか親近感があった。
もちろん、勉強ばかりではなく、時々、雑談も楽しんだ。
キリスト教の聖書はたったの2冊だが、仏教の経典はどうして何十冊もあるのだ!などといった仏教に関する他愛もない話で盛り上がった。
それはそうである。
その通りだと私も思った。
日本にいたっては、大学でお世話になった『大正新脩大蔵経』は、タイ版大蔵経(パーリ三蔵経典)よりも多い全100巻である。
この中に、例えば『大般若波羅蜜多経』600巻が収録されているのだから、細かく言えば、経典の数は数えきれないほど多くなる。
容易に読破できるものではない。
まさに八万四千の法蔵だ。
この冗談交じりの“ボヤキ”には、ついつい笑ってしまった。
私は、その後、森の修行寺へと旅立った。
Bさんは、私が旅立つ少し前に、バンコクのワット・スタットという有名な大寺院へと移っていった。
高僧のお世話をする役目を担う僧侶としてお寺に入るそうだ。
一度、バンコクのワット・スタットで再会し、私もお寺に滞在させていただいていたことがある。
その際に、私もご挨拶をさせていただいたのであるが、Bさんが仕えている高僧は、相当な偉いお坊さんのようだ。
その高僧は、海外にいくつものタイ寺を建立している人物らしく、おそらくは、そうしたコネクションを狙ってのことだろうと思う。
その努力が実って、私が日本へ帰国した頃には、アメリカのサンフランシスコにあるタイ寺が運営するタイ人学校で教師となったようだ。
日本から手紙を出したところ、サンフランシスコの美しい絵葉書と、教師として教鞭をとっている彼の写真が送られてきた。
そう、タイは、コネクション社会なのである。
お寺を移動する時も、どこかへ引っ越す時も、全て友人・知人のコネクションがモノを言う。
かく言う私も、友人を頼った経験があるし、そもそもタイで出家できたのもコネクションをつなげることができたからに他ならない。
日本では“コネ”というと、少々悪いイメージを持つことがあるが、コネクションを頼ったほうが信頼できるし、確実で、安心できるのだ。
Bさんは、現在、在家者としてハワイで生活をしている。
マッサージの仕事で生計を立てているようだ。
当時、私に語ってくれた夢を見事に叶えているではないか。
実は、サンフランシスコのタイ寺へ手紙を書いて以来、何年も連絡が途絶えていた。
どうやらその間に還俗したようである。
海外伝道師の資格まで所持している彼が、なぜ還俗したのであろうか・・・。
それは、私には、わからない。
今は、大変便利な世の中だ。
SNSで海外の友達ともつながることもできる。
Bさんの名前を検索してみた。
Facebookを利用しているようで、リクエストを申請してみたところ、繋がることができた。
以来、彼が発信するFacebookの投稿を通じて、時々、彼の元気な姿を確認している。
投稿内容は、やはり元・比丘で、元・教師である。
仏教的な内容や哲学的な内容がちりばめられ、どこか詩的な雰囲気が漂う、大変気品ある文章だ。
ともかく、人生をエンジョイしているようだ。
その元気で楽しそうな充実した姿を見て、私はとても安心した。
・・・積もる話を交わしてみたい。
メッセージを送って、コミュニケーションをとってみたい気もするが、タイ語も英語もできないゆえ、写真を見て楽しむ程度であるのが残念でならない。
あの時、タイで話していたくらいのタイ語くらいならできるだろう!と怒られそうだ。
・・・話すのと、書くのとは違うのだよ。
(『私にタイ語を教えてくれた先輩比丘Bさんのこと』)
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