タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/03/19

なつかしの書籍を思い出す


タイで出家する決意を固めて、渡航準備に入ったのが、20年前のちょうどこの時期。


大学を卒業してから、タイで出家するまでの3年間、実にさまざまな本を読んできた。


書店へ入って、無意識に向かうところはといえば、決まって仏教書コーナーだ。



学生時代を過ごした京都は大変良かった。


大きな書店もあれば、仏教書の専門店がいくつもある。


そのようなところは地方都市ではあり得ない。



さらには、大学生協の書籍コーナーでさえも、相当量の仏教書が置いてある。


仏教の大学なのだから、当然と言えば当然だが。



今はインターネットさえ繋がっていれば、何でも検索できる時代。


検索にかければ、おおよその外郭がつかめるばかりか、音声や画像、さらには動画などもある。


しかも、リアルタイムの情報が入手できるようになった。


そのような便利なものがなかった当時は、やはり本と自分の足に頼るしかなかったわけである。



さて、季節がら、少し当時を振り返ってみた。


たくさん本を読んできた中で、特に記憶に残っている書籍をエピソードなどを交えてながらいくつか紹介してみたい。






ワット・パクナム寺院でいただいた日本語の小冊子。
写真の人物は、ワット・パクナムの瞑想法を創始した
チャオ・クン・モンコン・テープムニー師(ルアンポー・ソッド師)





〇佐々木教悟『上座部仏教』(1986年 平楽平楽寺書店)


この本は、南伝仏教の教義教学や瞑想実践の内容というよりも、“タイ仏教史”に近い研究書である。


ちなみに、佐々木教授は、南伝仏教研究の第一人者だ。


当時、私の母校の大学においても講座を担当されており、学生時代に佐々木教授の講座を受講させていただいたことがある。


実は、佐々木教授ご自身もタイで出家されたご経験をお持ちだ。


肝心の講義内容は記憶に残っていないが、教授の出家時代の体験談や学生に披露してくださった写真のほうに関心があり、よく私の記憶に残っている。


当時は、タイで出家など夢にも思っていなかったけれども、やはり何かの縁があるのだと感じずにはいられない。




〇『ブッダ大いなる旅路2 篤き信仰の風景 南伝仏教』(1998年 日本放送出版協会)


1~3巻シリーズの第2巻が南伝仏教のパートである。


テレビで放映されたものの書籍版で、ご存知の方は多いことと思う。


この種のタイプの本にしては、比較的詳しく書かれているとは思うが、南伝仏教国全てをこの1冊にまとめているため、内容としては全般に渡って薄いと言わざるを得ない。


同じ戒律、同じ教義を持つことが特長である南伝仏教といえども、国が違えばやはり同じではない。


ただ、幸運なことに現代タイの仏教事情については、比較的詳しく書かれており、よくまとめられている(逆に言えば、こういった点に偏りが見られるとも言える。)。


タイ仏教のおおまかな外郭を把握することができるものである。


実は、私は、この本によって、タイに森のお寺という一郡の瞑想修行を志す者のための環境があるということを知った。


特に、タイの「森のお寺(森の修行寺、森林僧院)」について、詳細に記述されており、私の全ての興味・関心をさらったのであった。



これこそがブッダの時代以来、連綿と受け継がれてきた瞑想生活であり、出家生活であるとその時“直感”したのである。



ゆえに、私がこの本から受けた影響はとても大きい。




〇青木保『タイの僧院にて』(1979年 中央公論新社)


この本は、タイ通にとっては、言わずと知れた有名な本である。


単なる観光ではなく、何らかの目的をもってタイへ行く人は、必ず読んでいると言われているほど知られた本だ。


まだ私がタイについて調べていた頃、すなわち、まだタイでの出家生活を知らなかった頃に読んだのであるが、知らないがゆえに、とても心が躍らされたことを記憶している。


ただ、タイの出家生活と瞑想修行の生活を知ってから読むと、薄っぺらい内容のものに感じられてしまう。


非常に狭い知見である私がこのような所感を述べるのも大変失礼なことではあるが、タイの仏教はそれほど薄っぺらいものではないし、これがタイの仏教であるなどとは、決して思ってほしくはないと感じる。


それは、この本の性格が著者の体験記や日記に近いものであるため、そのように感じられるのではないかと思うのであるが、どうであろうか。


だからこそ、私は、自身が体験してきたタイの仏教の知られざる魅力を日本人に伝えたいと思うとともに、ひとりでも多くの人に本当の仏教の良さ知ってもらい、少しでも興味を持ってもらって、仏教に自身の生き方を見い出してもらいたいと感じている次第である。



余談であるが、当時、この本の著者である青木保氏と電話で話したことがある。


タイでの出家の仕方や注意事項等を尋ねたことを記憶しているが、結局は、出家につながる有力な情報は掴めずに終わってしまった。


日本へ帰国した後、お礼状を出そうとしたのであるが、出家をしていた3年の間にどこかへ引っ越されてしまったのか、お礼を伝えることができなかったことが悔やまれる。


当時は、個人情報云々は、これっぽっちも言われなかった時代。


実に大らかな時代だったと思う。




〇『仏教書総目録』


書籍ではないが『仏教書総目録』という目録が刊行されているのをご存知だろうか。


全ての仏教書が記載されており、本を探すのにとても便利なものである。


私は、一般書店に並べられていない本や専門書・学術書などは、この目録から探し出して入手していた。


著者とタイトル、サブタイトルくらいしか知ることができず、目次や中に何が書かれているのかまではわからないため、ある意味「賭け」ではあるのだが、地道に本のタイトルから探し出し、注文するのである。


仏教書は、割と値が張るので大変だ。


そうして探し出した一冊が、『タイ・インドの仏教』という学術書である。




〇藤吉慈海『タイ・インドの仏教』(1991年 大東出版社)


学術書で、論文集的な性格のもので、現代のインド仏教、特に新仏教徒についてとタイの瞑想についての論文が収録されている。


他の学術書と異なるのは、タイにあるワット・パクナム(寺院)の瞑想法について詳細に紹介されている点だ。


今でこそ、具体的に南伝仏教のさまざまな瞑想法を知ることができるようになり、一般書として実践向けに書かれた本も非常に増えたのだが、当時はほんの数冊を数えるだけで、瞑想関係は皆無と言っても過言ではなかった。


ワット・パクナムの瞑想法が紹介されている章は、ワット・パクナムが日本語で出版している『チャオ・クン・モンコン・テープムニーの生涯とその教え』(1967年・昭和42年)という小冊子と同じ内容のものだ。


『タイ・インドの仏教』という学術書として一冊にまとめられてはいるが、『チャオ・クン・モンコン・テープムニーの生涯とその教え』として、すでに昭和42年に刊行されていることを考え合わせると、相当以前に日本語でワット・パクナムの瞑想法が紹介されていたということであり、この事実はとても興味深い。



実は、ワット・パクナムには、私にとっては大変強い思い入れがある。


日本で唯一、私の出家を応援してくれたとある先生が、若かりし頃に修行されたことのあるお寺がこのワット・パクナムだからである。


先生は、この本の著者である藤吉慈海師とも親交があり、それがご縁でワット・パクナムで修行をされたのではなかろうかと、先生から伺ったお話より想像している。


高校時代の恩師の紹介で知り合った先生であるが、先生のタイでの体験談や瞑想上の話は、それはそれはもう目を輝かせて、食い入るようにして聴かせていただいた。


ゆえに、私がタイへ行ったら必ず行きたいと考えていた寺院のひとつであった。


実際に、滞在して瞑想を実践させていただき、日本語の図書もあるという図書館を見学させていただいたりできたことは、実に感動にも近い思いであった。


その図書館でいただいたものが『チャオ・クン・モンコン・テープムニーの生涯とその教え』(画像)というこの小冊子であった。


ワット・パクナムは、長く日本と交流のある寺院で、日本でタイの寺院として最も名前が知られている寺院である。



私が訪問した当時は、すでに療養生活を送っていらっしゃった河北師という日本人僧が当時、瞑想指導をしておられ、私がお世話になった先生は、河北師の最初期に瞑想指導を受けたお一人なのだそうである。



私も、滞在させていただいた際、河北師にご挨拶をさせていただいた。


しかし、残念ながら体調がおもわしくないとのことで、三拝の後、挨拶の言葉だけを交わして終えた。



河北師は、ワット・パクナムという大寺院の高位の大長老である。


本来ならば、私などが面会できるような地位にあるお方ではない。



一介の日本人にしか過ぎない私が直接面会させていただけるところがタイの驚くべきところで、またタイのとてもいいところだ。



日本では、全くあり得ないことだろう。





まだまだ思い出やエピソードのある本はたくさんあり、是非ともここで紹介させていただきたいところなのだが、とり止めがないので、このくらいにさせていただくこととしたい。



当時は、自分自身の「求道」への問題解決の糸口を見つける意味だけではなく、ひとつひとつがつながっていく段階を楽しんだり、まだ見ぬタイの出家の世界への憧れも手伝って、とても心を躍らせていたものだ。




今、当時を振り返って、とても懐かしく思う。




(『なつかしの書籍を思い出す』)







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