ろうそくの炎を見つめる。
タイのある森の修行寺で、瞑想の先生から教えていただいた瞑想法だ。
私の場合は、眠気を覚ますための瞑想として教えていただいた。
この瞑想は、あくまでも主となる瞑想の補助的な瞑想となるものである。
主となる自分の瞑想にプラスして、その時の状況や状態に応じた瞑想法で臨機応変に対応していくというのが伝統的な森の修行スタイルだ。
タイの蝋燭には、実に様々な
サイズのものがある。
私が瞑想修行をさせていただいた森の修行寺でも、
ちょうど画像のような大きな蝋燭を使っていた。
(※画像は、旅の魅力を発信するメディアサイト『たびよみ』より。)
和蠟燭の炎のほうがより柔らかく、
ゆらめきが何とも言えない癒しを誘う。
ろうそくの瞑想を教えていただいたのは、私が先生に眠気について相談した時のことであった。
瞑想は、ある意味、眠気との戦いでもある。
もっとも戦いというよりは、眠気自体を徹底して観ていかなければならないのではあるが・・・。
その先生の指導によれば、眠気を覚まし、サティを保つには、まずは眠気を覚まさなければならないとする。
なぜならば、しっかりと覚醒していなければ、自己を観察することができないからだ。
目覚めるための方法として、眠気を催してきたら、水浴びを行ったり、歩行瞑想に切り替える。
あるいは、掃除を行ったりして動くこと。
気分転換をはかって眠気を覚ますのだ。
そうした中のひとつとして、『そうそくの瞑想』を教えていただいた。
つまり、ろうそくの炎を見つめることで、目に光という刺激を入れて、眠気を覚ますという方法である。
帰国してからのことであるが、日本の瞑想指導書にもその記載があった。
また、ヨガの方面における瞑想法においても、「火」を見つめるという手法があるのだそうだ。
ヨガでは、良いイメージのものと「繋がる」ことが推奨されているようで、「火」はその良きイメージのものに属するもののひとつなのだという。
ちなみに、テーラワーダ仏教においても、ろうそくの瞑想のように「火」を使って心を静める方法は、サマタ瞑想のひとつとして、きちんと論書に記載されている方法だ。
やはり、心を落ち着ける瞑想法のひとつとして、意味合いに若干の差異が認められはするものの、さまざまなところで実践されているのだと一人で納得していた。
私は、タイでは、よく徹夜瞑想を実践していた。
真っ暗なところにポツンとろうそくを立てて瞑想に励んだ。
夜中のシーンとした中にろうそくの炎が揺らめく。
時々、ヤモリやトッケーの鳴き声が響き渡る。
季節によっては、虫の鳴き声もあっただろうか。
歩行瞑想専用の廊下では、要所、要所にろうそくを置いて明かりをとった。
眠気と戦いつつ、いや眠気を懸命に“観察”しつつ、歩行瞑想に励んだ。
ろうそくの炎を見つめながら・・・そんな当時のことを思い出した。
ろうそくの炎を眺めながら、タイでの思い出ばかりに耽っていたら、ろうそく瞑想も本末転倒だ。
これではいけないと、ふと我に返った。
思い出に耽っている私自身をこそ観察しなければならない。
(『ろうそく瞑想』)
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