タイのお寺でよく見かけるのが、長い柄の付いた美しい団扇である『タラパット』だ。
どこのお寺にもある比丘が使用する仏具のひとつである。
なによりも大変美しく、比丘が着座する席の近くに置かれていることが多いこともあり、ひときわ目を引く存在だろう。
古くは、ヤシの葉っぱで作られていたものが、現在では布で作られており、とてもシンプルなデザインのものから、大変細かく美しい刺繍が施された作りのものまで、非常に多彩なデザインのものがある。
少し特別なタラパットとしては、比丘としての位を受けた際に贈られたり、タイの仏教における学僧の試験に合格した際にその試験の階級に応じて贈られたりするものがある。
その際のタラパットは、特別なものであることもあり、ひときわ美しく、きらびやかなもので、一目で特別なものだとわかる。
特に高位の比丘に対して贈られるタラパットは、手の込んだ緻密な刺繡が施されていたり、なかには宝石が散りばめられていたりするものもある。
このタラパットのデザインのなかには、仏教的なメッセージが込められたものもある。
経文からある一節が引用されていたり、簡単な法話が刺繍されていたりすることもある。
例えば、葬儀用のタラパットで、
アニッチャー ワタ サンカーラー
ウパータワヤタンミノー
ウッパチッタワー ニルッチャンティ
テーサン ウーパーサモー スコー
【日本語訳】
もろもろの作られたものは、
実に無常であり、生滅するものである。
生じては滅びる、
それらの静まるところに、安らぎがある。
という4句の文言を一組・4本を一組として、として刺繍されているものがあったそうだ。
実は、この話は、実際に私が見たものではなく、私がタイで大変お世話になった方がタラパットについて話されていた時に聞いた話である。
私は、葬儀の際にこうしたメッセージを儀式に参加している在家者たちに、敢えて見えるように発するというところに、タイの仏教の素晴らしさを感じるのである。
このようにタラパットのデザインは、とてもバラエティに富んでいる。
写真:向かって左側に立てられているのが『タラパット』 |
さて、特に面白いと感じたのは、その使われ方だ。
簡略に言えば、タラパットは比丘が在家者の前で読経をする際に使用されるのだが、具体的には少し改まった儀式や在家者に対して戒を授ける時などに使用される。
冒頭に触れた通り(上記の画像参照)、タラパットは長い柄が付いた形状をしており、読経の際に通常は右手でその柄を持ち、比丘の顔の前に団扇を立てながら読経する。
読経の際にお経の頭出しをする比丘がひとり持つ場合と、読経する比丘全員が持つ場合とがある。
タイでは、“お坊さんの団扇”だといっても、決して扇いで(あおいで)涼をとるための道具ではないのだ。
日本人からすると、読経する比丘がひとり、あるいは全員が、どうして顔の前に団扇を立てるのかと大変不思議に思うのではないだろうか。
率直に言えば、かなり風変わりな風景なのである。
なぜ顔を隠すのかが大変不思議でならない。
これには諸説あるようであり、統一した見解があるのどうかもよくわからないところではあるが、そうしたなかで『顔を隠すため』という理由が比較的共通した説明である。
顔を隠す理由としては、ブッダの言葉とそれを語る比丘の顔とが重なってしまうことを防ぐためで、実際にブッダ言葉(お経)を語る“口”である比丘個人がブッダと同一視されてしまうことを防ぐため、ということを意図している。
つまり、読経する比丘の個性を消すためだ。
ブッダや仏法は、ブッダや仏法である。
比丘個人の人格や容姿などを通じて発生する、比丘個人に対する感情とが重ならないようにするためで、ブッダや仏法は、ブッダや仏法として受け取るべきであるという姿勢を示すものだ。
比丘個人の人格や容姿如何によっては、仏教の教えを素直に聞けないという事態が発生することも十分にあり得る。
そうしたことを無くすために『顔を隠す』のであろう。
私は、こうしたところにも、なんとも真摯なテーラワーダ仏教の姿勢を垣間見ることができると、しみじみと感じたのであった。
余談はであるが、私が出家生活のほとんどを過ごした森林僧院では、このタラパットを使用する機会が極めて少ない。
そのため私は、タラパットを使う機会は、ついに出家生活の中で一度もなかった。
一度くらいは、使ってみたかった気もするが、それはそれである。
ちなみに、比丘の持ち物としての“団扇”は、テーラワーダ仏教圏全般に存在する。
スリランカにも存在するし、ミャンマーにも存在するが、その形状と使い方がタイとは異なる。
スリランカでも、ミャンマーでも、タイのような使われ方はしないと現地出身の比丘から伝え聞いているが、スリランカやミャンマーでは、具体的にどのような使われ方をするのかについて詳しい方がいらっしゃれば、ぜひとも情報をお聞かせいただきたいと思う。
私が知る範囲では、タイのものは、団扇の形状とその使われ方がテーラワーダ仏教圏のなかでも、特徴的かつ独特だと言えるのではないだろうか。
大変興味を覚えると同時に、読経する比丘個人の個性を消して、お経すなわちブッダが説く教えそのものとして在家者の耳へと届けて、心へと届けようというその姿勢にどこまでも真摯な姿勢を感じるのであった。
【『タラパット』の日本語表記について】
タイ語では『ตาลปัตร(taa lá pàt)』であるが、タイ語の発音を厳密に日本語で表記すると『ターラパット』となる。しかし、タイ語の発音上長音には聞こえないため、拙ブログでは『タラパット』で統一することとした。
【参考サイト】
私の友人が管理するサイトである。『タラパット』の画像が多数収録されているので、このサイトをご覧いただければ『タラパット』をご存知ない方にも、本記事の内容がより理解しやすいかと思う。また、そのデザインの多彩さもおわかりいただけると思う。
このサイトに収録されているものは、比較的一般の寺院で目にすることのできる『タラパット』が中心であるが(なかには滅多に見られない大変貴重なものも収録されている)、博物館や大寺院の展示室などに展示されているものともなると、これらとまた違って芸術品クラスのもの存在する。その美しさ、多彩さに魅了される日本人も多いのだそうだ。これをきっかけにタイの寺院に興味を持っていただければと思う。
(『タイのお坊さんの団扇・タラパット』)
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