タイで出家し、森林僧院での瞑想修行を通じて、たくさんのことを経験し、実に多くのことを学ばせていただいた。
そのまま出家生活を続けていたのなら、ただひたすらに悟りを目指して瞑想上の境地を究め続けていたことだろう。
ところが、非常に悔しいという思いはあるものの、結果的に還俗することとなった。
日本へ帰国する決意をしたのであるが、タイでの経験と学びを己の血とし、肉としてゆくには、それ相応の時間が必要であった。
しかし、そのようなことなど、当時の私には知る由もない。
日本へ帰国したのち、これでもかと言うほどの挫折と葛藤を何度も何度も繰り返し、深い悩みと苦しみを味わうこととなった。
瞑想修行の次は、“迷走”修行が待っていたというわけだ。
あれだけ心血を注いで瞑想修行に打ち込んできたにも関わらず、日本で生活をしていると、いとも簡単に元の自分へと戻ってしまうのだから情けないというか、その感情は全く言葉にすることができない。
それは、私の心が完成されておらず、自分自身に対して弱いからに他ならないのではあるが・・・。
それにしても、全くもって悔しいではないか!
心の状態は、悟りに近づいているどころか、出家前と何ひとつ変わっていないレベルにまで成り下がっているのだから。
私は、一体、今まで何をやってきたのか。
嗚呼!
己の煩悩の根強いことよ!
私は、燃え盛る煩悩の火の前に全くなす術がなかった。
ただただ深い深い底のない苦しみの海のなかへと沈んでいくしかなかった。
嗚呼!
少しでも安らかに生きていきたい・・・。
何度そのように思ったことだろうか。
日本の日常生活の中で、悟りを求めたい自分、煩悩まみれに心地良ささえ感じている自分、苦海に沈みながら藁をも掴みたいと必死にもがき続ける自分・・・私は、ながらく葛藤し、苦しみ続けた。
その結果、ある一点に行き着いた。
それは、『おだやかな心』。
日々、おだやかに過ごすように努めること。
一分でも、一秒でも、おだやかな時間を増やす努力をすること。
この一点しかない。
おだやかな心がなければ、次の段階はあり得ない。
おだやかな心がなければ、心の落ち着きもないし、冷静な心もあり得ない。
おだやかな心がなければ、心の集中もないし、観察や洞察もあり得ない。
だから、おだやかな心こそが全てのスタートであると考えるに至った。
日本の社会生活において、タイでの出家生活のように自己の心を静かに保ち、怒りや貪りをよく静めながらの生活を維持し続けることは非常に難しい。
まして、高い瞑想の境地を目指し続けていくことは、この私には不可能だ。
私が最終的に至りついたひとつの答えである『おだやかな心』でさえも難しい。
しかし、不可能だからといって、全てが無意味なのだろうか。
私が今まで積み上げてきたものもまた無意味なのだろうか。
いや違う。
全てを捨て去ってしまうというのもまた違う。
私に実践可能なことを実践する。
そして、それをひとつひとつ積み重ねていく。
私にできることをやったらいいではないか。
それしか私にできることはないではないか。
・・・そのような結論に至ったのである。
私たちは、日々、さまざまな感情のなかを生きている。
そのなかで「私」は、何を選択して、どのように生きていくかが問われるのだ。
私に不可能なことは、おそらく、今の私の「器」ではないのだ。
非常に悔しい。
しかし、それは動かしがたい事実であるのだから受け入れるしかない。
私には、このようなことしかできないが、これが今の私が越えるべき道であり、修行なのである。
それが私の「器」に応じた修行なのだ。
(『元に戻ってしまうのです・・・』)
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