『苦しみは長くは続かない』
『楽しみは長くは続かない』
これは、安らぎの言葉なのだろうか?
あるいは、戒めの言葉なのだろうか?
私が大学生の頃、図書館の壁に掲示されていた言葉である。
私は、仏教の大学に学んだ。
仏教の大学とあって、このような言葉が学内のいたる所に掲示されている。
数ある標語のなかで、なぜかこの言葉だけが強烈に私の記憶に残っているのだ。
他の言葉は、何も覚えていない。
おそらく、今の“安定”が崩れ去るのが相当恐ろしかったからではなかろうか。
だからこそ、深く私の記憶に刻みつけられたのだと思う。
『STILLNESS FLOWING The Life and Teachings of Ajahn Chah』
の挿絵より。
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さて、この言葉。
果たして、何人の学生たちの眼に入っているのだろう。
自由で楽しい大学生活の中で「楽しみは長くは続かない」などと言われたとしても、どれだけの学生がそうだと思うのか。
しかし、これだけ強烈に私の記憶に残っているのであるから、他にも響いている人間が必ずいるはずだ。
思えば、この言葉・・・
実に不思議で、実に広大であると思う。
今、苦しんでいる人にとっては、「励み」となる言葉だ。
苦しみは長くは続かないのであるから。
一方で、今を楽しんでいる人にとっては、とんでもない言葉となるだろう。
楽しみは長くは続かないのであるから。
これほど真理を突いた言葉もないのではないか。
全てのものは常に移り変わり、一瞬たりとも留まることはない。
たとえどんなに苦しいことであったとしても、永遠に続くことはない。
たとえどんなに楽しいことであったとしても、永遠に続くことはない。
次の瞬間には、どのようなものであっても、別のものへと変化していくのである。
この厳然たる事実をわかったうえで、「今」を生きていかなければならないのだ。
そのための訓練が瞑想である。
静寂で、穏やかで、ゆっくりと時が過ぎてゆく森の修行寺での生活。
そんな環境にもこうした真理(法則)は例外なく働いているのだ。
日々の生活を整え、心の落ち着きを保ち、全ての事象の生滅変化を観察していく眼を育てていく。
静寂の中での瞑想生活だからこそ、世の中の真理がよく感じ取れる瞬間がある。
森の修行寺での瞑想生活だからこそ、身をもって感じ、身をもって学ぶことができるのだ。
『苦しみは長くは続かない』
『楽しみは長くは続かない』
時には安らぎとなり、時には戒めの言葉となる真理を突いたこの言葉。
タイの森の修行寺で初めてその意味が腑に落ちた。
しかしながら、この言葉は、大学生には少々難しい言葉なのではないだろうか。
(『瞑想・・・厳然たる事実を観る』)
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