タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2017/01/09

アーナパーナサティ事始め~呼吸と遊び呼吸と友達になる~

タイにおいて、膨らみ縮みの瞑想法(マハーシ式の瞑想法)とともに広く実践されているのがアーナパーナサティである。


「どの瞑想法が一番いいですか?」と、よくそのように問われることがある。

私は、「あなたの心が最も穏やかになる瞑想法が一番いいと思いますよ。」と答えることにしている。


再度、同じ質問を問われた場合には、「アーナパーナサティか膨らみ縮みの瞑想法(マハーシ式の瞑想法)がいいのではないかと思います。」と答えることにしている。

実際、これらは私にとって最も心が穏やかになる瞑想法であると感じたものであるし、最も長く実践してきた瞑想法でもあるからだ。

また、総合的に考えて最も適切な瞑想法なのではないかと私は考えているからだ。


しかしながら、私の所感として、アーナパーナサティもそうそう簡単なものではないと思っている。

その導入段階で一生を費やしてしまうくらい高度だと言っても過言ではないと私は感じているからだ。



それはさておき、アーナパーナサティを教えるタイの森の中にある修行寺で止住していた時のことである。

私は、なかなかアーナパーナサティが身に付かず、呼吸に集中できないということをアチャン(瞑想指導者である長老比丘)に相談したことがあった。

この時、アーナパーナサティの導入段階“以前”の「事始め」とも言える、非常に有益かつとても面白いと感じたアドバイスをいただくことができた。

ところが、このアドバイス・・・実は、うる覚えなのである。

なぜうる覚えなのかと言えば、恥ずかしながら、結局はあまり実践しなかったからで、私の怠慢に他ならない。


ふと、そんな当時のことを思い出したのだ。





アーナパーナサティでは、
どのような時も集中の対象を呼吸へと向ける。
そして気づきを呼吸の出入りの感覚へと向けつつ
観察・洞察をおこなっていく。
ゆえにヴィパッサナーの実践のひとつとされる。





アチャンに『なかなか呼吸に集中できない』ということを相談すると、アチャンは快く私の相談に応じてくださった。


深夜に本堂へ来るように言われた。

一緒に実践しようということであった。


・・・誰もいない静かな森のお寺の本堂。

この森のお寺には電気が引かれていない。

まずは、本堂の仏像の前に置いてある太いろうそくに灯をつける。

ただそれだけで、真っ暗だった本堂が明るくなる。

それほど真っ暗なのである。


静かにゆらゆらとろうそくの灯が揺れる。

ほんのりとブッダの顔が浮かび上がった。


ろうそくの灯が静かに揺れるたびに表情を変えるブッダがとても神秘的だった。


その深夜の真っ暗な本堂の中で、アチャンから直接アーナパーナサティの事始めとも言える呼吸へと集中し、気づきを実践していくためのさまざまな手法を指導していただいたのであった。



「ここに時計がある。」


と、アチャンは大きな時計を指差しながら、


「この時計の針と時間を見ながら、呼吸を整えて、呼吸に集中していくのですよ。」


とおっしゃった。


どのようなアドバイスをいただいたのか・・・うる覚えながら当時を振り返りつつ、実際に実践してみた。

その時に受けたアチャンからのアドバイスをまとめてみたい。



ゆっくりと深く息を吸い込み、ゆっくりと長く息を吐き出していくというのが基本的な姿勢である。

その手法には、何通りもの方法があり、自分でアレンジすることも可能だ。



〇一定の時間をかけて、一定のリズムをつけて呼吸を行うというもの。


一定の時間をかけて息を吸う、一定の時間息を止める、そして一定の時間をかけて息を吐き出していく・・・というものである。

・・・当時を思い出して実践してみたところ、私の場合、15秒かけて息を吸う、15秒間息を止める、15秒かけて息を吐き出していく、そしてまた15秒かけて息を吸う・・・

この程度の間隔がそこそこ楽に継続できる範囲のようである。

どのような間隔で呼吸をしていくのかは人それぞれであろうかと思う。


〇限界まで息を吸い込んで、限界まで息を吐き出すというもの。


ゆっくりゆっくりとこれ以上は無理というまで息を吸い込んでいく、限界まで来たら一旦息を止めて、これ以上は無理というまで息を止め続けておく、そして限界まで来たら、ゆっくりゆっくりとこれ以上は無理というまで息を吐き出していく・・・というものである。

呼吸を極端にしてみることで、呼吸に集中しやすくするというものだ。

これは、特に眠気に襲われた時や集中が切れてしまった時、どうしても集中できない時などに有効だということである。

呼吸のリズムを意図的に変えてみるというのは、今でも眠気に襲われた時などに時々実践しているものであり、この時に教わったものだ。



アーナパーナサティでは、たえず呼吸に集中しながら歩くというのが一般的な歩く瞑想であるが、歩く瞑想と呼吸法とを掛け合わせたような手法も教えていただいた。


〇呼吸と歩数と時間とを測る。


一回の呼吸で何歩歩くことができるのかを測る。

次に無理なく歩くことのできる秒数を測り、そのペースを守りながら繰り返し、往復しながら歩く瞑想を行うというもの。

あるいは、一回の呼吸を一定の時間をかけて歩くようにしたり、吸い込む息だけ、吐き出す息だけで時間を測ってもよい。


・・・同じく当時を思い出して実践してみたところ、私の場合、一回の吸い込む息で10歩の距離を歩くことができ、時間としては15秒かけるというのが無理なくできる範囲のようであった。



「こうして呼吸と遊ぶんですよ。呼吸と遊びながら、呼吸と友達になるんですよ。」

「そしてね、このようにしながら少しずつ、少しずつ呼吸に集中できるようにしていくんです。」


と、アチャンは言葉を結んだ。



結局のところ、苦しくなってしまったり、やっぱり集中することができなかったりで、せっかく教えていただいたこれらの手法も、ほんの数回実践した程度で、この時限りとしてしまったのは、実にもったいないことをしたものだと思う。

ほんの数回の実践程度で身につくようなものなどなにもない。

実践に実践を重ね、実践して、実践して、実践しなければ自分のものにはならないし、試行錯誤すらできないのである。


高度に呼吸に集中することはできず、呼吸と友達になれず仕舞いとなってしまった。


アーナパーナサティは、私にとっては少し難しいものだと感じた。

しかし、実践することで、呼吸が整い、気持ちが整ってくるということはすぐに実感することができた。

そして、とても心が落ち着き、とても穏やかになるものであるということも。


ゆえに、もしも「どの瞑想法が一番いいですか?」と問われた時には、私の推奨のひとつとしてお伝えすることにしている。



いまだに呼吸と友達になることができないでいるが、“知り合い”程度にはなれたのではないだろうか・・・

今さらながらにアチャンから手ほどきを受けた大切な言葉の数々を思い出しながら、ひとつひとつを噛みしめている。



(『アーナパーナサティ事始め~呼吸と遊び呼吸と友達になる~』)





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2 件のコメント:

パーラミー さんのコメント...

アーナパーナサティは、鼻孔での出入息を感じ取ることが難しいですよね。
マハーシ長老が教えたお腹の動きを観察するという方法も、元々は、鼻孔の出入息を観察するのが難しいという修行者の訴えから、鼻孔の出入息よりもお腹の動きが観察しやすかったため、初心者でもやりやすいとして推奨されたもののようですし。ただ、初心者にとっては、お腹の動きもなかなか感じられないこともありますが。
私も、瞑想をはじめた頃はお腹の動きはとても微細で、感じるのがやっとだったことを憶えています。

「呼吸と遊ぶ」という方法、はじめて知りました。こうやって、呼吸への集中力を高めていくということなのでしょうね。アーナパーナサティを実践しようとする方達にとってはとても参考になる方法ではないでしょうか。私も覚えておきます。

Ito Masakazu さんのコメント...

パーラミー様

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。そして、コメントをいただきましてありがとうございます。

私がこの教えを受けた時、さすがはアーチャン(その時の瞑想指導者であった長老比丘の方)だなと思ったことを憶えています。呼吸をすることなど、あまりにも身近なこと過ぎて意識的になることはありません。しかし、こうやって「呼吸」を意識しながら、「呼吸」することに親しみ、「呼吸」を整えていくことで、よりアーナパーナサティに慣れ親しんでいくのだな、と私にとってはちょっとした驚きのアドバイスでした。これらは、おそらくアーチャンが今までに試行錯誤されてきた方法のひとつなのでしょうね。きっと、アーチャンご自身も相当な努力を重ねてこられたのだろうと思います。

一方で、恥ずかしながら、結果的に私は呼吸への集中力を高めていくことができませんでした。やはり、難しかったというのが私の所感です。何度も私の集中力の無さを嘆きましたね(苦笑)。

現在、私は、マハーシ式の瞑想法で瞑想をしています。それは、私にとって、実生活の中において自身の行為・行動、感情の変化などをより観察しやすいと感じたからです。そして、明らかに感情の中へ巻き込まれにくくなっていると実感することができたからです。この日常生活の中で、つまり実生活の中で、客観的に自己を観察する力を育てていく、すなわちサティの力を育てていくことが今の課題だと思っています。

日常生活の中で心が大きく乱れた時・・・怒りの感情に襲われた時、ひどく落ち込んだ時、その他諸々の感情に襲われた時など・・・そういった時には、まずは大きく深呼吸をして、呼吸を整えるようにしています。そのうえで、自己の感情を冷静に観察するようにしています。私にとっては、このようにすると、心の穏やかさをよりうまく保つことができるようです。このあたりは、アーナパーナサティからの学びだったのかなとも思っています。

もっとも、アーナパーナサティでも、マハーシ式の瞑想法でも、どちらの瞑想法を実践したとしても同じ結論に至るはずだと思います。あくまでも、私にとってはそうだったということで、結論的には「徹底的に観察していくしかない。」の一言に尽きるのではないかと私は思っています。とても遠い道のりですが、より確実な道のりだと言えるのではないでしょうか。

貴重なコメントをいただきましてありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。