タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/04/10

父の病気3 ~父とタイとの間で~


この記事は、タイ佛教とは直接関係のあるものではありません。しかし、私の心の変遷の中においては、とても大きな位置を占めているものです。現在の私へと至る過程のなかでの心の葛藤を書いた記事です。



父との問題を抱える一方で、私の人生の問題とも向き合わなければならなかった。

苦悩に打ちひしがれる愚かな自己の姿。
悩み苦しみの前に立ち上がることすらできない私。

弱く、情けない私・・・

自分のことで精一杯だった。


関連記事:
『大学でのショック』
『タイへの道のり』
『そしてタイへ』


本来であれば、家族のために懸命に働き、母の支えにならねばならなかったのであろう。
きちんとした就職を果たし、両親を安心させてあげなければならなかったのであろう。

ところが、普通の人が考えるであろう道を歩まなかった。

両親を経済的に安心させてあげることができなかったうえに、精神的にも心配させてしまったことであろう。

普通に生きる。

おそらく、両親が私に求めていた道だったのだろう。
多くの人が「幸せ」であると考える生き方なのかもしれない。

しかし、私はそういった道にはどうしても進むことができなかった。


タイへ行く道を選んだ。

どうしてもタイへ行きたい。
どうしても出家がしたい。
どうしても大学で学んだ仏教というものをこの身で学び、体得したい。

そして、どうしても私の道を求めたい。

そう思った。


これだと直感したタイへの道。

行かなければ納得ができない。
行かなければ見つからない。
行かなければ得られない。

そう思った。


父の病気のせいでタイへ行けなかった。
父のせいで諦めた。


もし、今、タイへ行かなければ、この先いつかそう思うに違いない。
あるいは、こう自分を納得させていたであろう。

「仕方がなかったのだ」と。

確実に父のせいにしていただろう。

では、父が亡くなるまで待つのか?
父が亡くなったその時、私はいくつになっているのだろうか?

今、タイへ行かなければ、もしかしたら、一生タイへ行くことができないかもしれない。
チャンスは一度逃したら二度と巡ってこないかもしれない。

早く父が亡くなってしまえば、タイへ行くことができる。
早く・・・・・・

そう考えたこともあった。


しかし、それは父の死を願っていることになるではないか。
なんと親不孝なことを考えているのだろう。

人の死を願う。
そんな願いを持っていいわけがない。

自分を責めた。
そう考える自分は大罪だ。

それが、仏法を学ぼうと志している者の考えることだろうか。
そんな者に道が開かれるはずがなかろう。

激しく葛藤した。


タイへの思いは止めることができなかった。

葛藤する中で、ひとつの結論に至った。

この先、タイへ行くことができなかったことを父のせいにしたり、どこかで父の死を願って生きるよりも、タイへ行くことを選択したほうが罪にならないのではないか、という結論だった。

しかし、タイへ旅立つことには、やはり罪悪感があった。
母がいるとは言っても、どこか病気の父を「見殺し」にしているように感じた。

そんな罪悪感を背負いつつもタイへ行く決意をした。


一応、家族には自分の思いを伝えた。
微々たるものではあるが、母にはタイへの旅費を除いた私の蓄えの全てを手渡した。
自分勝手ではあるが、父のそばに居ず、母の手助けもせず、自分の思いを優先させたせめてもの償いと父と母への支援にでもなればとの思いからだった。

それがまた、金で解決してきたのかという疑問と罪悪感を生んだ。


タイへ渡ってからも、こうした“しこり”は、あらゆる機会に噴き出してくる結果となった。

私がブログの記事の中で触れていることに「自然な流れの中で」というものがある。

どうやら、まだまだ身の回りを整理しきれていないうちにタイへ行ってしまったようである。

どこか私は、流れに逆らって進んでいたのかもしれない。


自分に与えられた環境と条件、その中で選択した自己の行為。
それらに従って生きているのが私達である。
もし、それらを越えようと思えば、きちんとした段階を経なければならないのだ。


「自然な流れの中で」


この感覚は、私のこうした背景と体験の中から感じ取ったものだ。


結局は、還俗して日本へ帰国した。


しかし、その選択に後悔はない。
もちろん志半ばであった感は残っている。
他にもいろいろな思いもあった。


だがこれは、諸師・諸先輩方からの助言やアドバイスを踏まえ、考え抜き、私自身が決断したことだ。


病気の父をおいてタイへ旅立った私。
懸命に父の介護をする母を助けなかった私。


父は、そんな私をどのように見ていたのだろう。


今も、父と大人同士の話ができなかったことを残念に思う。
父が今もまだ迷っている私を見ていたとしたら、呆れているに違いない。


「まったく、情けない奴だ!」と。


私が日本へ帰国してから7年目の秋・・・
難病とともにあった父が亡くなった。


父の死に目には逢えなかった。

しかし、できる限りの時間をできる限り父の近くで過ごし、そして送ることができたのではないかと思っている。


それが、私にできた父への精一杯の孝行だった。



(つづく 『揺れる心1 ~仏教と価値観~』



(『父の病気3 ~父とタイとの間で~』)



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