タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2010/05/10

タイ人は自業自得がお好き!?


「それは、おまえのカルマ(業・行い)だよ!」


タイ人は、よくこのようなことを口にする。


カルマ(業・ごう、タイ語では『ガム』。カルマのタイ語なまり。)とは、行為、行動、行いを意味する。

業の考え方は、仏教の重要な教理のひとつであることはご存知の通り。



タイでは、日常生活のそこかしこに、こうした仏教的な考え方を見出すことができる。

それだけ仏教というものが生活そのものとなっている証なのであろう。


タイ人の言う、「カルマだよ!」とは、日本語で言えば、「自業自得だよ!」といったところ。

では、なにが自業自得なのだろうか?


例えば、ハチに刺されたり、犬に噛まれたり・・・

アンラッキーなこと全般に対して使われ、なんでもかんでも自業自得だと言われる。


つまり、過去において、ハチに刺されたり、犬に噛まれたりするだけの何かを自分自身がしでかしてきたから、今このような結果を受けているのだ、ということが言いたいのである。


そのようなことを言われたとしても、身に覚えがないし、知ったことではない。

しかし、もしかすると知らないところで、ハチや犬に対して迷惑をかけていたのかもしれない。


その因果関係は、凡夫の私には、思いはかることもできない範疇のものである。



「それは、おまえのカルマ(業・行い)だよ!」



この言葉は、ちょっとした「からかい」と「笑い」の意味合いを含んだ、ユーモラスな表現として使われることも多いようだ。


実は、私もタイ人から「それはカルマだ」と言われた経験がある。


ある日、ハチに腕を刺され、ひじが曲げられないほど腫れあがってしまったことがあった。
もちろん痛い。



「おいおい、大丈夫か?もしかしたら過去にハチをいじめたんじゃないのかい?まあ、カルマだよ!」



と、笑いながら言われてしまった。


私としては、痛いさなかに笑い飛ばされてしまう気持ちは、実に複雑なものではあるが、こうした状況の中で笑い飛ばすことができるということもまたいいことなのかもしれない。



タイでは全般的に「自業自得」の考え方が浸透している。

そんな考え方が影響してか、意外にもタイ人は、アンラッキーな出来事を引きづらない人が多い。



「まあ、気にしない気にしない!」

「仕方がないさ!」

「これもカルマ!」



と、さらりと流す。


クソッ!!ついてない!!と、一日中引きづりそうなものだが・・・

あるいは、他人のせいにしてしまいそうなものなのだが・・・


このあたり、タイ人は自分がしてきたことだから仕方がないと考えるらしく、実にさっぱりとしている。


何気ないタイ人との会話からも、仏教の考え方が日常生活の中に浸透していることがわかる。



業・・・自業自得・・・自分自身の行為の結果だからと、何の抵抗もなく受け入れることができるタイ人は多いようだ。



(『タイ人は自業自得がお好き!?』)



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