タイ人は、よくこのようなことを口にする。
カルマ(業・ごう、タイ語では『ガム』。カルマのタイ語なまり。)とは、行為、行動、行いを意味する。
業の考え方は、仏教の重要な教理のひとつであることはご存知の通り。
タイでは、日常生活のそこかしこに、こうした仏教的な考え方を見出すことができる。
タイでは、日常生活のそこかしこに、こうした仏教的な考え方を見出すことができる。
それだけ仏教というものが生活そのものとなっている証なのであろう。
タイ人の言う、「カルマだよ!」とは、日本語で言えば、「自業自得だよ!」といったところ。
では、なにが自業自得なのだろうか?
例えば、ハチに刺されたり、犬に噛まれたり・・・
アンラッキーなこと全般に対して使われ、なんでもかんでも自業自得だと言われる。
つまり、過去において、ハチに刺されたり、犬に噛まれたりするだけの何かを自分自身がしでかしてきたから、今このような結果を受けているのだ、ということが言いたいのである。
そのようなことを言われたとしても、身に覚えがないし、知ったことではない。
タイ人の言う、「カルマだよ!」とは、日本語で言えば、「自業自得だよ!」といったところ。
では、なにが自業自得なのだろうか?
例えば、ハチに刺されたり、犬に噛まれたり・・・
アンラッキーなこと全般に対して使われ、なんでもかんでも自業自得だと言われる。
つまり、過去において、ハチに刺されたり、犬に噛まれたりするだけの何かを自分自身がしでかしてきたから、今このような結果を受けているのだ、ということが言いたいのである。
そのようなことを言われたとしても、身に覚えがないし、知ったことではない。
しかし、もしかすると知らないところで、ハチや犬に対して迷惑をかけていたのかもしれない。
その因果関係は、凡夫の私には、思いはかることもできない範疇のものである。
「それは、おまえのカルマ(業・行い)だよ!」
この言葉は、ちょっとした「からかい」と「笑い」の意味合いを含んだ、ユーモラスな表現として使われることも多いようだ。
実は、私もタイ人から「それはカルマだ」と言われた経験がある。
ある日、ハチに腕を刺され、ひじが曲げられないほど腫れあがってしまったことがあった。
もちろん痛い。
「おいおい、大丈夫か?もしかしたら過去にハチをいじめたんじゃないのかい?まあ、カルマだよ!」
と、笑いながら言われてしまった。
私としては、痛いさなかに笑い飛ばされてしまう気持ちは、実に複雑なものではあるが、こうした状況の中で笑い飛ばすことができるということもまたいいことなのかもしれない。
タイでは全般的に「自業自得」の考え方が浸透している。
そんな考え方が影響してか、意外にもタイ人は、アンラッキーな出来事を引きづらない人が多い。
「まあ、気にしない気にしない!」
その因果関係は、凡夫の私には、思いはかることもできない範疇のものである。
「それは、おまえのカルマ(業・行い)だよ!」
この言葉は、ちょっとした「からかい」と「笑い」の意味合いを含んだ、ユーモラスな表現として使われることも多いようだ。
実は、私もタイ人から「それはカルマだ」と言われた経験がある。
ある日、ハチに腕を刺され、ひじが曲げられないほど腫れあがってしまったことがあった。
もちろん痛い。
「おいおい、大丈夫か?もしかしたら過去にハチをいじめたんじゃないのかい?まあ、カルマだよ!」
と、笑いながら言われてしまった。
私としては、痛いさなかに笑い飛ばされてしまう気持ちは、実に複雑なものではあるが、こうした状況の中で笑い飛ばすことができるということもまたいいことなのかもしれない。
タイでは全般的に「自業自得」の考え方が浸透している。
そんな考え方が影響してか、意外にもタイ人は、アンラッキーな出来事を引きづらない人が多い。
「まあ、気にしない気にしない!」
「仕方がないさ!」
「これもカルマ!」
と、さらりと流す。
クソッ!!ついてない!!と、一日中引きづりそうなものだが・・・
あるいは、他人のせいにしてしまいそうなものなのだが・・・
このあたり、タイ人は自分がしてきたことだから仕方がないと考えるらしく、実にさっぱりとしている。
何気ないタイ人との会話からも、仏教の考え方が日常生活の中に浸透していることがわかる。
業・・・自業自得・・・自分自身の行為の結果だからと、何の抵抗もなく受け入れることができるタイ人は多いようだ。
(『タイ人は自業自得がお好き!?』)
このあたり、タイ人は自分がしてきたことだから仕方がないと考えるらしく、実にさっぱりとしている。
何気ないタイ人との会話からも、仏教の考え方が日常生活の中に浸透していることがわかる。
業・・・自業自得・・・自分自身の行為の結果だからと、何の抵抗もなく受け入れることができるタイ人は多いようだ。
(『タイ人は自業自得がお好き!?』)
メールマガジン『こころの探究のはじまり』を配信しています。
全45話にわたって求道の旅路を綴っています。
3 件のコメント:
初めまして。今、『タイ佛教修学記』を非常に関心を持って読ませていただいております。タイの国は私にとって全く知らない国だったので新しい世界が開けたような感じです。と同時にブッダの世界もより関心のある世界です。このあなた様のブログは是非とも最初から読みたいと思い、インターネットに弱い自分が四苦八苦して(笑)やっと操作して一番最初の2007年5月14日から読み進めており、2010年5月5日の「比丘の生活2」まで来たところです。こんなことを言っては不謹慎でありますが、非常に楽しみをもって読まさせていただいております。いまどうしても一言感謝の言葉を記したいと思い急ぎ投稿した次第です。そのうち、余裕ができましたならメルマガなども拝読したいと思っています。まとまりのないことを申し述べまして誠に失礼いたしました。年寄の繰り言と思いご容赦ください。(全くインターネットに不慣れでここに投稿してよいやらよくわかりません。公開と出ているので、本当は公開してほしくないのですが、他にどのように文を送って良いのかわかりませんので破れかぶれで送らせていただきました。)
時代遅れさま
ブログをお読みくださいましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。
大変真摯なお気持ちをお聞かせくださいまして、心より感謝申し上げます。少しでも、明るくておだやかに生きることへとつながるようでしたら、私としてはこれ以上の喜びはございません。
このコメント欄は、一般に公開されております。もし、個人的なご連絡やご質問などがございましたら、こちら『buddhanoomiashi@gmail.com』へお願いいたします。直接、伊藤へメールが届きます。
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コメントをいただきましてありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
コメントのお返事、お忙しい所まことにありがとうございます。メルマガ登録させていただきました。新しいお話が聞けると思うとうれしくなります。前にも申しました通り、SNSは苦手としているため思うように有効活用が出来ませんが、これからもよろしくお願いしたいと思います。またあなたさまの、今後のますますのご発展をご祈念いたしております。
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