かなり古い資料になるのだが、タイ滞在時に私が参照していたタイ国内にある瞑想センターを紹介した英語のガイドブックがある(以前も話題に挙げている)。
英語のガイドブックということからもわかる通り、瞑想の実践・修学を志す外国人に向けて著わされたものだ。
このガイドブックには、タイの名だたる僧院や森林僧院、瞑想センターなど、大小さまざまな外国人が滞在可能な僧院の概要がわかりやすく記されている。
小冊子ながらタイの事情について明るくない外国人に対して、非常によく配慮された、かつ大変親切なガイドブックだと感服させられる一冊である。
各僧院ごとの記載項目に若干の差はあるのだが、記述されている項目は、ざっと下記の通りである。
・寺院名
・寺院名の意味
・寺院名のアルファベット綴り/タイ語綴り
・住所の英語綴り/タイ語綴り
・現地までの行き方の概略
・電話番号
・瞑想方法とその概略
・指導者について
・指導方法について
・言葉について
・僧院の概略
・僧院の規模(比丘、沙彌、その他滞在者の人数等)
・宿泊・滞在について
・食べ物(食事)について
・その他の案内・特記事項等
インターネットが発達した現在では、検索すれば全てインターネット上で得られる情報ばかりであるのかもしれないが、今、読み返してみても、これは大変便利で、非常に重宝する。
私が当時、注目していたのは『瞑想法』であった。
僧院の門を叩いたとしても、瞑想法が違っていてはいけない。
あらかじめ日本で下調べをしてきた情報と、タイ現地で入手した情報と、さらにこのような情報とを重ね合わせてよく検討した。
タイでは、どのような瞑想法が存在して、どのような瞑想法が主流となって実践されているのか、私が修学を目的としていた瞑想以外に学んでおくべきものはあるかどうか等々・・・このようなことがらが私の関心事であった。
先程と重複するが、現在であれば、インターネットの検索ひとつで済んでしまうようなことであるのかもしれないが、とても懐かしく思う。
さて、今回、このガイドブックに掲載されている各僧院で採用されている瞑想法は、一体、どの瞑想法が多く採用され、実践されているのかの実数を出してみようと試みた。
些か個人的関心事に過ぎないことではあるが、とても興味深かったので調べてみることにした。
このガイドブックの情報だけでもって、タイ全体の統計とするのは、全くの早計で、不正確な統計ではあるが、それでもその傾向の度合いくらいは知ることができるのではないかと思う。
なにとぞ、その点をご考慮のうえでお読みいただきたい。
以下は、各瞑想法とその瞑想法を採用している僧院の数である。
◆掲載僧院数:23
【瞑想法】:その瞑想法を採用している僧院の数
・マハーシ式瞑想:7
・アーナパーナサティ:4
・プットー瞑想:4
・サンマー・アラハン:2
・手を動かす瞑想:1
・決まった瞑想法はない:4
・その他のヴィパッサナー:1
※アーナパーナサティとプットー瞑想は、比較的近い瞑想法となるため、両方実践されている場合もある。そのため、ガイドブックの記述も明確ではなく、分類することができないため、記述から近い方へと含めた。もっとも、分類が必要なものでもないし、分類すべきものでもないことを念のため付記しておく。
※また、アーナパーナサティやプットー瞑想を主な瞑想法とするが、その他の瞑想も実践されているという記述も散見される。ゆえに、上記の分類は必ずしも境界線が明確であるわけではないことも併せて付記しておく。
余談であるが、日本での理解よりも、このガイドブックの記述の方が正しい理解を伝えている。
日本では、完全に別々の瞑想法のように理解されていたり、この瞑想はヴィパッサナー、この瞑想はサマタ・・・のように理解される傾向が強いようであるが、ガイドブックの説明では、「四念処に基ずくヴィパッサナー」などと説明されており、ヴィパッサナーの修習を行うためという瞑想の目的そのものを説明するものとしても適切だ。
また、瞑想法を説明した項目には、「アーナパーナサティを基礎とするヴィパッサナー」であるとか「プットー瞑想に基づいたヴィパッサナー」などといった表記もみられる。
日本の一般的なヴィパッサナーの瞑想に対する理解よりも、こちらの理解のほうがより正しいと言える。
瞑想は、全てヴィパッサナーへと到るためのものである。
アーナパーナサティというヴィパッサナーへの道であるし、通称・プットー瞑想というヴィパッサナーへの道である。
すなわち、ヴィパッサナーの修習には、さまざまな方法があるということだ。
よくぞここまで、各僧院の詳細な情報を集めて、わかりやすくまとめあげたものだと感心するのは私だけであろうか。
過去にも何度が採り上げているのだが、タイではサマタとヴィパッサナーについて、それほど厳密に言われることはないし、どちらかというとヴィパッサナーに重点が置かれているのが特長である。
伝え聞くところによるとミャンマーでは、サマタを徹底して修行するところから始まる僧院というか、瞑想法の流派があると聞くが、タイではそういったところはない。
必要に応じてサマタとヴィパッサナーを並行して修することはあるし、また瞑想法の特徴としてただそれだけを修するということはあったとしても、その他の瞑想における技法的なことを実践してはいけないということは決してない。
サマタだ、ヴィパッサナーだと、厳密に区別しようとするのは、日本の傾向であるように感じる。
意図してかどうかはわからないが、瞑想を仏教の実践とせず、良い部分だけを“切り売り”された瞑想が広まっていることにも起因することなのかもしれない。
特にタイの森林僧院では、日本人が思うほど凝り固まった指導はなされていないし、もっと大らかで実践的な指導がなされている。
感情は常に一定ではないし、事象は常に移り変わっていく。
臨機応変に対応できてこそであろうし、どのような事態と遭遇しようとも、ありのままを観察して受け取ってこそであろう。
どのような瞑想法を用いようとも、経典や論書に矛盾がするところがなく、正しく観察し、洞察していくと、『無常』『苦』『無我』という結論に辿り着くものであれば、それは仏教の瞑想なのである。
さらに言うならば、その中において、自分にとって最もよく実践していくことができるものを自分が実践する瞑想法として採用すればよいという理解である。
その判断を適切にくだしていくには、瞑想の目的は何なのかをよく理解し、そもそも仏教とは何なのかをよく理解していないといけない。
少なくとも一定期間は、適切な指導者のもとで瞑想を学ぶことが前提であり、まずは自身で実践していくことができるだけの実践的基礎知識を身につけることが大前提の話ではあるが。
さて、これは、私の感覚的なものであるが、タイにおいてもマハーシ式の瞑想法が主流であると認識している。
ただ、それを裏付ける数字的なデータを出すことができない。
あくまでも、私がタイで触れて来た“感覚的”なものから導き出した私の結論である。
今回、ガイドブックから導き出した統計では、圧倒的な数字ではないにしても、概ね私の認識と一致する数字となっていた。
自身の予測に沿ったもので、ひとまず納得している次第である。
私がタイで出家し、瞑想を学んだ時から約20年が過ぎた。
タイも随分と変わっていることと思うが、瞑想に関して当時とどれだけ変わっているかということが、非常に興味深いところである。
(『タイで主流の瞑想法は何か?』)
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