タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/07/19

瞑想は安全か?



瞑想は、危険なのではないか?


瞑想は、本当に安全なのだろうか?



しばしば議論されるところである。



結論から言えば、ごく普通に瞑想を実践している範囲であれば、心が壊れてしまうような事態にはならない。


また、信頼できる指導者のもとで実践するのであれば、なお安全である。



とはいえ、近年は、書籍や動画などから独学で瞑想を学び、実践する者も多いのではないかと思う。


ひとつだけ注意点をお伝えするとすれば、効果を得ようと考え過ぎないことだ。


何かをつかもう、何かを得ようと、何かになろうと強く考え過ぎないことである。



どのようなことであっても“過ぎる”のはよくない。



特に瞑想では、考え過ぎたり、つかみ過ぎたりすることは、強い執着となり、こだわりを生むことになる。


さらには、大きな苦しみとなり、深い悩みとなって、重い心の負担となることがある。



これでは、本末転倒も甚だしい。



気持ちを軽くして、楽にして瞑想に取り組んでいくと良いだろう。










私が聞いている、瞑想で心のバランスを壊した事例がある。


それは、「お籠り修行」のような少々特殊な瞑想修行を実践した場合だ。



実際にあった話であるのだが、長時間、しかも長期間、誰とも話さずに、ただひたすら瞑想を実践した在家の方がいたそうだ。


普段から瞑想指導者の指導に従って、瞑想を実践してきた、決して初心者ではない慣れた実践者であったそうである。


しかし、それでも、心のバランスを崩してしまったらしい。


すぐさま、瞑想の実践(お籠り修行)を止めさせたと聞いている。



その在家の瞑想実践者の指導を行っていた指導者の方から直接うかがった話によれば、本人からの強い希望によるものだったという。


「素人がそのような極端な修行は実践しない方がよい」と話しておられた。


普段から瞑想実践に励んでいる者であっても、“素人”だとは、少々厳しく感じられる。


おそらくは、本人の納得の問題だったのだろう。



指導者の側から言えば、あえて“やらせた”のではなかっただろうか。


あるいは、もしかすると、実践者の側に何かを得ようするとても強い気持ちがあったのではなかろうかと思う。



いずれにしても、私の憶測の域を出るものではないのだが。



私は2週間、誰とも一切話さずに、瞑想の実践に入ったことがある。


それ程長い期間ではないと思っているのだが、私についていえば、このくらいの期間であれば、特にどうということは感じなかった。


しかし、その時は、「出家者」として2週間のお籠り修行を実践した。


森のお寺での出家生活は、それ自体がクローズな空間であり、在家での生活(町のお寺)とは全く異なる空間だ。


ある意味においては、生活そのものが“瞑想”に近い生活であるともいえる。


そのため、何の問題もなかったのだと思う。



おそらく、現在のような在家の生活で、ごく普通に社会生活を営みながら、突然、お籠り修行のような環境に入ってしまうと、心のバランスを崩してしまうだろう。


そのような意味では、私は、すでに“素人”だ。



もっとも、このような特殊な修行は、必ず指導者の指示・指導の下で実践することを重ねて注意しておきたい。



何事も同じことであるが、瞑想とは、日々の小さな実践の積み上げである。


まずは、日々の生活の中で、実践できることを実践するべきだろう。



私のなかにも、特殊な修行や、厳しい修行への憧れはある。


それらを実践すれば、何かが得られる、何かになれる・・・そのような間違った思いがあるのである。



しかし、大切なのは、特殊な修行や、厳しい修行を行うことではない。


自己の満足感や達成感を満たすことでもない。



何よりもまずは、日常生活での実践であり、ごく身近なところで瞑想を積み重ねていくことである。



これは、タイで出家生活を送りながら瞑想を実践し、日本で在家者として社会生活を送りながら、現実の悩みや苦しみにぶつかってきた中から導き出した答えである。



今、生きている、この場所、この瞬間。


基本は、自身の日常のなかにある。



もしも、より厳しい修行やより高い境地を志す気持ちがあるのであれば、まずは日々の生活の中での実践を怠らないことだ。


次の段階は、必ずその実践の延長線上にある。


必ずというよりも、自然にその道は見えてくるものである。



普段の生活の中で実践しない人や実践できない人は、たとえ瞑想の環境が整ったとしても、絶対に実践できないであろうし、絶対に実践することはない。



身近にある小さなことを実践しつつ、確実に積み上げていく。


これをできない者が、次の段階へと進もうとするから心のバランスが崩れてしまうのだ。



瞑想は、無理せず、自然な形で取り組んでいくことをおすすめしたい。


そして、長く自身のパートナーとしていくべきである。


何かを求めることなく、ライフワークとして取り組んでいくべきであると思う。



※深い呼吸を行うことや、呼吸を調えるといった、ごく簡易な方法も“瞑想”に含めて考えています。精神的に不安定な場合は、このようなごく簡易な瞑想法から始められることをおすすめ致します。

※精神疾患を患っている場合(すでに主治医にかかっている場合を含む)や極度に自己と向き合うことが苦手な方の場合は、専門の瞑想指導者や担当の医師と相談しながら実践されることをおすすめ致します。



(『瞑想は安全か?』)








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