タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2019/07/29

タイの瞑想方法とそのやり方


タイの瞑想方法とそのやり方について、どこのお寺へ行って、どのように学べばよいのだろうか?



そんな疑問を感じた方は多いのではないだろうか。


すでに自分が学びたい特定の瞑想法があるのであれば、その瞑想法を採用しているお寺へ行って学べばよいだろう。


しかし、そうでない場合はどうしたらよいのであろうか。



例えば、タイの主な瞑想法には、以下のものがある。




膨らみ縮みの瞑想(ミャンマーのマハーシ式の瞑想法)


〇アーナパーナサティ(呼吸に注目した瞑想法)


〇プットーの瞑想(呼吸系の瞑想法)


〇手動瞑想(チャルーンサティ、動作を伴う瞑想法)


サンマー・アラハン
(法身瞑想法・ワット・パクナムとワット・タンマカーイの瞑想法)







どこの僧院がどういった瞑想法を採用しているのかという情報は、現在であれば、インターネットなどを活用すれば比較的容易に知り得る情報であろう。


インターネットに比べると格段に古い情報にはなるのだが、例えば、タイ国内の修行寺や瞑想センターを紹介している英語のガイドブックが出版されている。



こうした情報を基に、瞑想修行のできる各僧院の概要やその僧院が採用している瞑想法を知ることができる。





ルアンポー・プッタタート
タイ南部のスアンモークにおいてアーナパーナサティを指導された。





さて、ここからが今回の本題である。


さまざまな情報があるなか、それらの情報を見ていると、瞑想方法とそのやり方についての理解が厳密には正しくない側面があるのではないかと感じることがある。


それは、ある特定の瞑想法を採用しているからといって、それ以外の瞑想法は一切指導されないのかというと、そうではないということだ。



瞑想指導とは、瞑想実践者それぞれの状態に応じた指導がなされるのであって、非常にゆるやかで臨機応変なものである。



とても論理的な説明を加えられることもあるし、気持ちが散漫な時や必要だと判断された時にはサマタ瞑想的な対処方法を指導されることもある。


またある時には、何も助言してももらえず、ただ「やってみてください」の一言で終わることもある。


瞑想実践者それぞれ、知識も違えば、経験も違う。


性格も違えば、心の状態も違う。


ゆえに、実践者によってなされる助言は違うし、その時その時によっても違ったものとなる。



いわゆる「個別指導」が基本だ。





アチャン・チャー
タイ最大規模の森林派僧院の偉大な指導者である。





タイでは、ヴィパッサナーへとつながっていく瞑想であれば、それらは全て『ヴィパッサナー瞑想』と呼ばれる。


非常にざっくりとした表現ではあるのだが、違う瞑想法であるのに、どれも“ヴィパッサナー瞑想”と呼ばれているわけだ。


これは、日本での理解とは大きく異なる一面であるが、私はタイへ来て初めてこうしたことを知ったため、少々戸惑いを感じた部分である。




タイの瞑想方法とそのやり方について、生活そのものを瞑想実践の場としていくというのがどの瞑想法でも本来向かうべき方向性であろう。


そして、さまざまに変化する心身状況に対して臨機応変に、その時、その時の状況に応じた瞑想法でもって対処していくというのがその姿勢である


ガイドブック等には、一応の瞑想法は記載されてはいるが、必ずしもそればかりかというと違うということである。



この辺りの状況をよく知り、よく整理をしたうえでタイでの瞑想実践へと臨むと、より混乱することなく、よりわかりやすくなるのではないだろうか。




タイにはいくつかの瞑想方法がある。


より深く身につけようとするのであれば、やはり師について学ぶべきであろう。



瞑想のやり方については、指導者によって技法的なことが入って来ることもあるし、指導者の経験的なことがらが入って来ることもある。


また、深く状況がわかって来ると、入り口は異なるけれども、やはりどれも『ヴィパッサナー瞑想』であるといわれる所以が理解できるのではないかと思う。



知れば知るほどタイの仏教はおもしろい。


仏教はこうして発展してきたのだという大きな流れが見えてくるようでもある。


もっともっと深く知りたい・・・そのように思う今日この頃である。



(『タイの瞑想方法とそのやり方』)





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2 件のコメント:

パーラミー さんのコメント...

ブログ拝見しました。
すべてではありませんが、ミャンマーの瞑想センターも似たような感じだと思います。
指導者は修行者の状況に応じて個別に実践方法を変えていきます。
坐禅瞑想時間も個人によって違いますし、マハーシ式のところでも、例えば、歩行瞑想中に妄想が
とても激しい場合などは、歩行しながらの慈悲瞑想を指導されたりします。
やはり「個別指導」なのですね。

Ito Masakazu さんのコメント...

パーラミー様

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。


人によって状況や状態はさまざまで、瞑想上の進度や境地なども同じく全て個人によってさまざまです。
ですから、やはり瞑想は「個人指導」が基本となります。

ある森の修行寺で、「あぁ、そういう状態なら、これこれこういったことをやりなさい。」と指導されて、そのお寺が採用している瞑想法以外のサマタ的な瞑想方法を実践したことがあります。

とても大らかで、とても幅広い臨機応変な対応に驚くとともに、さまざまな対応方法や対処方法を直々に広く学ぶことができて、大変勉強になりました。


コメントをいただきましてありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。