タイの小学校や中学校では、学校行事として瞑想が取り入れられている。
あるいは、お寺からお坊さんを招いて仏教の授業がある。
逆にお寺へ行って瞑想をしたり、法話を聴いたりすることもある。
それは、小・中学校だけの話ではない。
会社や一般企業においても同様で、お寺へ行って瞑想したり、日本で言うところの「研修」として取り入れられている。
社員がバスで山奥のお寺まで行って、数日間泊りがけで“瞑想研修”を行う企業も珍しくはない。
私が出家をしたチェンマイにある 山奥の修行寺の本堂にて。 |
私が3年間瞑想を学んだタイは、私の第二の故郷だ。
タイの人たちは、みんながあたたかく、明るくて、朗らかで、実に親切な人たちばかりであった。
見ず知らずの外国人である私に、家族同然にとても親しく接してくれた。
「微笑みの国タイ」といわれているが、本当にその通りだと感じた。
しかしながら、タイには日本にはないとても厳しい一面がある。
ご存知だろうか?
それは、やはり仏教の価値観であり、瞑想の智慧である。
冒頭に述べた通り、タイでは瞑想の存在が日本では考えられないほど身近であり、心の在り方やものごとのとらえ方、考え方をごく日常的に学んでいるのだ。
だからこそ、揺るぎない心の安定があるのである。
よくタイ人から、
「どうして日本では自殺する人が多いのだ?
全く信じられない。
子どもまで自殺をすると聞いているが本当なのか。
一体、どういうことなのだ?教えて欲しい。」
このような質問をされて、返答に困ったことがある。
しかも、一度や二度ではない。
タイでも日本の状況はよく知られているようだ。
日本では、こうした社会問題にある意味“見慣れて”しまっており、すでに問題を問題として認識できなくなってしまっているのではなかろうか。
さて、タイの人たちの根底を貫く価値観で、日本においてもよく知られている大切なことをひとつ紹介したいと思う。
「自業自得」だ。
これは、悪いことのみを指して言うのではない。
良いことも、悪いことも全てが
「自業自得」ということである。
タイでは、「業」であったりとか、「あなた次第だ」といった言葉は、大変よく耳にする言葉であるし、誰もがごく当たり前のこととして理解し、受け止めていることである。
全てが「自己責任」ということだ。
もちろん、日本においてもごく当たり前のことであるのだが、果たして、自分のこととしてきちんと受け止めているだろうか?
自業自得だからこそ、人に優しく接することができるのである。
自分に対して厳しくすることができるのだ。
自主性を重んじることができるのだ。
自立していくことができるのだ。
自分を律していことができるのだ。
これが理解できるだろうか?
最終的には全てが自分自身へと返ってくる。
それが「自業自得」なのである。
単刀直入に言ってしまうと、日本は非常にぬるま湯であると思う。
自己の心の問題にいたっては、誰も何も知らない。
全くの無関心だ。
あまりに何も知らなさ過ぎる。
学校で習わないことは、何も知らないし、誰もわからない。
これが日本人だ。
いい意味でも、悪い意味でもである。
自戒の念を込めてここに書くのであるが、環境も、認識も、非常に甘いのではないかと思う。
誰も助けてはくれない。
最終的には、自分の力で力強く歩みを進めて行かなければならない。
助けて欲しかったり、手伝って欲しければ、自ら行動して、そのように動いていかなければならない。
全てが「自業自得」だからだ。
一見すると瞑想とは何の関連もないように思えるのではないだろうか。
しかし、それは違う。
感覚が感情を生み出している。
その感情がものごとをとらえる。
全てがつながっているのだ。
相互に作用しあっているのである
これは、瞑想を実践したらすぐにわかることだ。
難しいことは考える必要はなく、比較的容易に理解ができることである。
瞑想からの学びは実に深い。
まずは、実践してみるべきだ。
心はおだやかになる。
心がおだやかになるからこそ、冷静になってものごとを見ていくことができるようになるのである。
冷静に見ていくことができるようになるからこそ、自分が歩むべき、次の一歩がはっきりと見えてくるのだ。
タイで学んだ瞑想の教えは、人生の役に立つことばかりだ。
瞑想は、一生の善き友である。
瞑想は、何にも替え難い人生の宝物である。
(『タイで学んだ瞑想が教えてくれたこと』)
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