出家者だけではなく、もちろん一般の参拝者も気軽に参加できる。
合宿瞑想会の最終日やワンプラの日には、夜を徹して瞑想をするというプログラムが組まれていることが多い。
合宿瞑想会の最終日やワンプラの日には、夜を徹して瞑想をするというプログラムが組まれていることが多い。
この徹夜での瞑想は、森の寺や修行寺などで実施されることが多く、町の寺などではあまり行われていない。
徹夜の瞑想。
まるで、ブッダが菩提樹の下で夜を徹して修行に励んだ姿を思わせる。
徹夜の瞑想は、日本人にとってはあまりなじみがないが、タイではそれほど珍しい風景ではない。
おそらく、徹夜での瞑想を経験したことのあるタイ人や定期的に通っているというタイ人も多いのではないかと思う。
徹夜の瞑想。
まるで、ブッダが菩提樹の下で夜を徹して修行に励んだ姿を思わせる。
徹夜の瞑想は、日本人にとってはあまりなじみがないが、タイではそれほど珍しい風景ではない。
おそらく、徹夜での瞑想を経験したことのあるタイ人や定期的に通っているというタイ人も多いのではないかと思う。
徹夜で瞑想に励むその日。
夕の勤行のあと、住職や瞑想指導者からの法話や瞑想についての話を聴いたあと、瞑想に入る。
夕の勤行のあと、住職や瞑想指導者からの法話や瞑想についての話を聴いたあと、瞑想に入る。
あるいは、指導者の法話を聞きながら瞑想に入る。
夜は刻々と更けてゆく・・・
座禅(座っての瞑想)と歩行瞑想とをひたすら繰り返す者。
ただひたすらに座禅をする者。
ただひたすら歩行瞑想をする者。
みな熱心に瞑想に励む。
しかし、強制ではないので、休んでいても構わない。
このあたりは、いたって自由だ。
いかにもタイらしい。
こうしてさらに夜は更け、静けさが深まってゆく。
そして、朝を迎える。
比丘達は、托鉢に出る。
寺の境内で、ともに徹夜で瞑想に励んだ在家者達より施しを受けることもある。
いかにも疲れた表情をしている者。
すがすがしく、爽快な表情をしている者・・・。
さまざまな顔がある。
朝食の後、それぞれの思いで解散する。
在家者は家路につき、出家者はいつもの通りの生活に入っていく。
ブッダは、どれだけの日々を徹夜で瞑想に励んだことであろうか・・・。
考えずにはいられない。
タイでは、徹夜の瞑想以外にも様々な寺で、様々な修行方法が実践されている。
少数ではあるが森の寺などでは、一日たった数時間の睡眠時間のみで瞑想に打ち込んだり、一切睡眠をとらずに毎晩徹夜で瞑想に打ち込む修行者もいる。
日常的にそのように修行している者もいれば、それぞれ一定期間を定めて打ち込む者もいる。
また、何日間も誰とも話さずに瞑想を行う修行者もいる。
これも一定期間を定めて行う者もいれば、誰とも接触したくないためにあえて山奥の寺に籠ったりする者もいる。
実際に厳しい修行寺などでは、私語は厳禁され、瞑想期間中は誰とも話さない。
誰とも話さないというのは、瞑想専門の寺であれば、瞑想方法を問わず、どこの寺であってもおおむね同じだ。
例えば、スアンモークでもそうであり、実際に私が経験した2週間の集中的な瞑想期間中は誰とも話さなかった。
※『スアンモーク』を参照。
日常生活の中で1週間も2週間も、誰とも話さない生活など考えられるだろうか。
話す相手は自己しかいない。
自己を見つめざるを得えない環境だ。
今も伝統的な修行として行われており、一部の専門的・集中的な瞑想を除けば、非常に瞑想というものが身近に、かつ盛んに行われている。
週末やワンプラの日には寺へ通い、定期的に瞑想する時間をもつ人も多いと聞く。
瞑想は、積徳行為であるだけではなく、現代社会ではひとつのメンタルヘルスにもなっているのであろう。
自己の求める環境を選択できる、あるいは自己の修行を追求できる。
また、在家として日常生活を送る者であっても、自己を見つめる静かな時間を持つことができるのである。
徹夜の瞑想は、思わず私にブッダと自分とを重ねさせたことを覚えている。
(『徹夜瞑想』)
10 件のコメント:
単純な疑問なのですが、タイの出家は、基本的に僧衣1着のみで生活なさるのでしょうか?
僧衣の下に、アンダーシャツやパンツ(トランクスも含む)を着ないのでしょうか?それとも個人の自由で着ても良いし、着なくても良いのでしょうか?
日本社会では誰でも普通アンダーシャツやパンツ(トランクス)を着るのでふと疑問に思い質問させて頂きました。
普通、僧衣というのは上下で分かれてるものでしょうか?それとも分かれてなくてワンピース状態で上下つながってますか?
普段シャツにズボンなので、上下分かれてる状態で、服を着ているので、僧衣は上下の区別がなくワンピース状態なのだろうかと疑問をもってしまいました。
コメントをいただきましてありがとうございます。
タイでは、出家者は、アンダーシャツやパンツなどの下着を身につけることはありません。
なぜなら、それらは在家者の衣装であって、出家者の身につけるべき服装ではないからです。在家の服装を身につけるということは、還俗を意味します。
なお、出家者が身につけることのできる服装や持ち物は全て決まっていて、限定されています。その範囲内でしか選択肢はありません。下着を含めて個人の自由で服装を選ぶことはできません。また、気分で洋服に着替えたり、ズボンをはいたりするといったこともできませんし、寝る時もパジャマなどに着替えることはしません。この点が日本とは大きく異なります。
具体的にどのような服装になっているのかを簡単に説明させていただきます。
下半身は、サボンという布で腰を巻きます。わかりやすく言うと、ロングスカートのような状態です。下着は身につけず、いわゆるノーパンの状態です。
上半身は、アンサという簡素な布(これが下着のようなものになります)をはおります。その上からチーオンという布をまといます。チーオンは、体をすっぽりと包むことができるほどの大きさですので、外見上はワンピースのような状態になります。
比丘は、その上にサンカティンというものを折り畳んで左肩にかけます。サーマネーン(沙彌)は、このサンカティンがありません。
日本では、チーオンが大衣、サンカティンが袈裟にあたります。
僧衣のまとい方については、同じ上座仏教国であっても国によって若干異なります。
コメント回答ありがとうございます。
そして、アンサ以外下着がないと教えて頂きありがとうございました。簡素で素晴らしいことだと思いました。
サボン、アンサ、チーオンは2着ずつ1人のお坊様に対して与えられるのでしょうか?それとも1着ずつしか与えられないのでしょうか?というのも、洗濯したり乾かすため干してる時は1着ずつしかないと着るものがなくなってしまうように思えます。
コメントをいただきましてありがとうございます。
一般的には、一人で2組は持っています。やはり、洗濯をすると必要になります。ただし、サンカティンのみはひとつです。
しかしながら、なかには何着も持っている方もいます。
注意をされることはありませんが、必要最低限にとどめておくことが好ましい姿であるといえるでしょう。
2組でも合計5着の布ということでしょうか。
簡素でいいと思いました。
清浄の1つだと思いました。
素晴らしい情報ありがとうございました。
数年以上の出家のためにタイに行く時、ノービザでも可能でしょうか?それとも観光ビザの方が良いですか?日本にいる時はまだ出家していないため、出家ビザは日本で取得できない気が致します。
それでタイで出家ビザを取得させて頂くことになると思うのですが、ノービザから出家ビザへの切り替えはできない気がするのですが。
それを考えると、日本で観光ビザを取得してからタイに行くべきでしょうか?
コメントをいただきましてありがとうございます。
はじめに、私がタイ国に滞在した時期と現在とでは、制度が異なっている可能性もあるので、あくまで参考程度にとどめていただきたいことをお伝えさせていただきます。また、取得の一例であるということも念頭にお読みください。
入国当初から仏教修学ビザを取得するには、受け入れ側(タイ国側)での事前の準備が必要なはずですので、そのあてがないのであれば入国後に取得することになります。
取得にはまず、どこの寺で出家をしたどういう者であるのか、どういう目的でタイに滞在するのかということを証明する書面が必要です。これは、出家をした寺が発行してくれるはずです。そのうえで、出家後にタイでビザを切り替えます。
受け入れ側である出家予定の寺が決まっていたとしても、ビザに関して詳しく周到な寺は少なく、よほど国際的な寺でない限り、ビザの扱いには不慣れです。タイ人の日常生活にとってはビザなど必要ありませんから。ですので、結局はタイ国入国後に取得することになるので、情報収集や必要書類を揃える期間なども考慮して、まずは観光ビザで入国しておくほうが安全かと思います。
ちなみに僧侶の姿であれば誰でも必ず取得できるというものではないので、ご注意ください。また、取得するのはかなり困難だという話も耳にしたことがありますのでより確実に進められてください。
仏教修学ビザを視野に入れておられるのであれば、あらかじめ取得には何が必要で、どのようにしなければならないのかということを大使館やイミグレーションオフィスなどに問い合わせて正確な情報を収集されておくことをおすすめいたします。
初心者の質問に大変丁寧な回答を頂き心苦しい次第です。本当にありがとうございました。
出家できるかまだまだ全然分かりませんが、出家前・出家後の関係なくブッダの道をごくわずかでも前進させて頂きたい日々でございます。
少しでも参考にしていただけたら幸いです。
出家前、出家中、そして還俗後も・・・仏教的生き方を追い求めています。私もブッダの道を少しでも歩んでいきたいと思っている一人です。
今後ともよろしくお願いいたします。出家が実現しますよう願っています。法を喜ぶ友となりますように。
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