タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2017/05/19

お酒のこと

般若湯・・・日本では、酒のことをこう表現することがある。

なかなかうまい表現だなと思う。

「酒を飲むと、次から次へと良いアイデアが浮かんでくる」「酒を飲むと、頭の回転が速くなる」などと仰る方を時々お見掛けすることがある。

なるほど、酒とは、“知恵”を産み出す飲み物というわけである。

一方で、酒を飲んだばかりに失敗をすることもある。

体調を大きく崩してしまうこともしばしば。

気が大きくなり、暴言や失言、思ってもない行動をとってしまうことすらある。

時には、暴力も。

大なり小なり、酒の失敗談は、多くの方がお持ちなのではないだろうか。

酒を飲んでいたとしても「気づき」を保っているから、全く構わないと仰る人もいるらしいが、果たしてどうだろう。

酒は、“般若湯”とは言うものの、危険を伴うことのほうが大きいのではないかと、最近、特に感じている。


タイにも酒は売られているし、もちろん飲まれてもいる。

しかし、飲酒が決して“良し”とはされていない風潮が確かにある。

その風潮の根底には、仏教というものがあり、明確に意識されているのだ。


例えば、おおむね一週間に一度あるワンプラの日は、いつもより戒律をよく守って生活をするべき日であるとされ、飲酒を控えるべき日であるとされている。

また、仏教上の祝日に当たる日には、飲酒を控えることに加えて、酒類の販売が一切禁止される。


・・・酒類が一切販売されない日があるということを私が知ったのは、実は、後のことである。
タイでの生活のほとんどをお寺で過ごした私にとって、タイの一般社会での生活は、全く関知するところではなかった。
当然のことながら、お寺の中には酒類は一切なく、買うことも、口にすることもなかったからである・・・


タイの人々も、酒を飲みはするけれども、飲まないように努める日や販売が禁止されている日まであるのだ。

やはり、タイは、敬虔な仏教国だ。

日本も仏教国であると言われてはいるが、こうしたタイの姿勢と比較すると、日本は実に自由な仏教国であると思う。



タイでは、ビールのグラスに氷を入れて飲むということは、日本でもよく知られるようになった。
近年では、タイのビールも日本で容易に入手できるそうだ。
~写真は、タイ国政府観光庁発行の小冊子『タイ料理カタログ』より~


還俗後、出家中に知り合ったタイ人の知人にビールをふるまわれたことがあった。

彼の奢りで、タイスキをごちそうになった時のことだ。

私が還俗をしたばかりであることを知っていた彼は、「お疲れさま」と言わんばかりの表情でビールをすすめてくるのであった。

お寺での生活しか知らない私に、タイの人達が楽しむ娯楽を教えてあげたいと思ったのかもしれない。

私は・・・酒を飲むことを躊躇した。

そんな私に、彼は「もう在家の仏教徒になったのだから、飲んでもいいんだよ。」と、無邪気な笑顔で言うのであった。

やはり断ろうかとも思ったが、彼の厚意だ。

これも含めてタイの素顔であり、タイの風景である。

ここは、彼の厚意を受け取っておくことにしたのであるが、やはり内心では少々複雑な気持ちであった。


酒を飲む人もいれば、酒を飲まない人もいる。

そこは、日本もタイも変わらない。


しかし、出家となれば、酒は一切口にすることはできない。

その点が戒律を重んじるタイの仏教と日本の違いである。



タイの代表的な鍋料理「タイスキ」。タイ式の“しゃぶしゃぶ”といったところである。タイでは、単に「スキー」と呼ばれることが多い。
私は、還俗後、彼がごちそうしてくれたこの時に初めてタイスキを口にした。
~写真は、タイ国政府観光庁発行の小冊子『タイ料理カタログ』より~


実は、私は、ほんの少し前までは酒好きであった。

ビールや洋酒よりも、日本酒のほうが好きで、よく酒蔵まで直接出向いて購入したものだ。

現在はもうなくなってしまったのであるが、私の田舎には「青年団」というものがあり、中学校を卒業すると同時に、地域公認で酒を飲むことができた。

・・・今ではこのようなことを口にすることすら不謹慎であるが・・・

夏祭りは、特に楽しかった。

老いも若きも、人が集まればいつでも酒だ。

酒は、祭りの時だけではない。

葬儀も婚礼も、どんな時でも酒を飲む。

それが田舎の慣習だ。

そんな田舎で育ったためか、酒には全く抵抗がなかった。


ところが、最近、酒には全く興味がなくなってしまった。

もう長らく酒を飲んでいない。


酒の売り場を通ることもある。

しかし、特に欲しいとは思わないし、飲もうとも思わない。


頑張ってそのようにしているわけではない。

飲みたい気持ちを無理に押さえているとか、歯を食いしばってそうしているわけでもない。

特に何も意識していない・・・そのような感じなのだ。


頑張らなくてもできるようになるとは、こういうことかと感じた。

「身につく」というのは、おそらくこういうことなのだろう。

苦しさや滞りを感じるものは何もなく、とても自然なのだ。


この記事では、特に「酒」についてを採り上げて書いているが、何に関しても同じことが言えるのではないだろうか。

自然にできる。

頑張らなくともできる。

それが、「身につく」ということなのだと思う。


タイの一般社会においても、日本と同様に広く酒は飲まれている。

ただ日本と大きく異なる点は、タイでは、酒を飲まないという戒を社会全体が意識しているという点だ。

在家であっても、酒を飲まないという戒を守りながら生活をしている人は多い。

少なくとも、日本とは比較にならない程、意識されていることは確かなことである。


タイには、仏教の確たる価値観が生きているし、五戒というものがしっかりと根付いている。

私は、ここに「仏教国」の姿を感じたのであった。



近年、日本でも上座仏教(テーラワーダ仏教)が広く知られるようになってきた。

在家の五戒を守りながら生活をしている人も多いという。


ところで、実際に酒をやめてみると、非常に戸惑う場面にたくさん出会うのである。


知らないうちに「酒」を口にしていることがあるのだ。

ケーキや生クリーム、かけられているソースなどに酒が入っているのだ。

カステラやスポンジケーキなどにも入っていることがある。

酒が入っているチョコレートはご存知の通り。

意外にも、多くのスイーツ類に酒類が入っているのだ。

他にもたくさんある。

赤ワインで煮た肉。

砂糖とワインで煮たリンゴ。

料理酒を用いて調理された料理。

改めて、酒を用いた料理が多いことに驚かされる。

・・・すでにアルコールは抜けているのだから、構わないだろうと言われそうであるが、判断が難しいところだ。

みりんは酒として扱うべきか。

酒粕はどうか。

米麹はどうか。

奈良漬はどうか。

アルコールが含まれていない飲み物は、「酒」ではないから構わないのだろうか。

近年、健康食品としても注目されている甘酒は、ノンアルコールであるとされているがどうだろう。

ノンアルコールビールも“ノンアルコール”なのだがどうだろうか。

私はタイで「ノンアルコールビール」というものを見かけたことがないが、おそらくタイではノンアルコールビールであったとしても、ビール、すなわち酒として扱われるかと思う。
・・・ノンアルコールビールは、いくらノンアルコールであると言っても、どこから見てもビールであり、酒である。よって、「不可」だ。


同様の問題を挙げ出すと、まさにきりがない。


果たして・・・日本において、このような議論がなされる日は・・・・・・来るのだろうか?


近年、飲酒の話題はさまざまな方面で、世間を騒がせている。

飲酒をしないことで、少なくとも、世間を騒がせているような問題からは離れることができるかと思う。


それにしても、思った以上に、日本の食生活の中に「酒」が根付いていることに驚きを感じた。

“不飲酒の戒”が日本で意識される日は、やはり遠いのかもしれない。



(『お酒のこと』)





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2 件のコメント:

パーラミー さんのコメント...

ブログ拝見しました。
タイには、酒類販売が禁止されている日があるのですね。もしかしたらミャンマーでもそういう日があるかもしれません。今度ミャンマーに行ったら聞いて見ます。
ミャンマーでも、飲酒をする人たちが増えてきているようです。ミャンマー人の知人が、最近は酒を飲む人が増えたと嘆いていました。
これも時代の流れなのでしょうか。
そうは言っても、飲酒の習慣は日本ほどではありません。
年配の方などは五戒を守っている方が多く、そのため、所謂「宴会」のような場でも、酒抜きで催されることがままあるようです。また、酒抜きなので、あえて「宴会」を夜ではなく、朝会として催す場合があるみたいです。
私自身は、飲酒を止めて15年ほど経過しました。きっかけは五戒を守って生きてみようと思ったことからです。不飲酒戒って、ある意味、最も守りやすいのではないかと思っています。要するに、お酒飲まなければいいのですから。酒は嫌いではないですが、執着するほど好きでもないこともあるかもしれません。
お酒を飲まなくても、宴席には出ていましたし(最近は宴席自体あまりありませんが)、お酒を飲みたい人にはお酌もしていました。日本では、宴席ってある種、仕事の延長みたいなところがありますからね。お酒を飲まないから宴席も欠席するというのは、単に自分のわがままや逃げになってしまう気がしていましたし。
あと、ノンアルコールビールや、酒を利用した料理などは、あまり気にしていません。明らかにアルコール成分が残存して、酔ってしまうようなものはダメとは思いますが。不飲酒戒は、酔わせるものを摂取しないというのが元来の目的だの思うので、酔わないものはそれほど気にしなくてもいいのではないかと思っています。

Ito Masakazu さんのコメント...

パーラミー様

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。

ミャンマーでは、酒類販売禁止の日や飲酒を控える日などがあるのかどうか、私も非常に関心があります。もし、聞くことができましたら、是非とも教えていただきたいと思います。

さて、近年では、飲酒運転の取り締まりが非常に厳しくなったこともあり、仕事関係での宴会や飲酒の機会はめっきりと減りました。また、未成年者に飲酒をさせるというようなことも聞かなくなりました。ミャンマーの酒抜きの宴会や朝会、非常にいいですね。とても仏教国らしいなと感じました。

実は、私も、はじめの一歩は似た動機なのです。五戒を守って生きていこうと思ったのです。完全にやめてしまうまでは、不飲酒は難しいかと思っていたのですが、やってみると確かに守りやすいものかもしれませんね。不殺生や不妄語など、とても細かなところで犯してしまっていることを考えると、まさに仰る通りであると思いました。

ところで、ノンアルコールビールの扱い・・・実は、一度、タイ人に尋ねてみたいと思っていることがらなのです。と言いますのも、タイでは、戒律上「豆乳」を「牛乳」であると見做しているお寺があるという事例があります(もちろん豆乳は豆乳で、牛乳ではないとしているお寺もあります。)。その時、そのお寺の比丘に「これは“豆乳”ではないのですか?」と尋ねたところ、はっきりと「これは、牛乳と同じだから駄目だ。」と答えられたことがあります。おそらく、疑わしいものは“不可”ということなのではないかなと、私は理解しました。

もっとも、当時のタイには、記事に書いたような“ややこしい食べ物”はなかったように思いますが、これは単に私がタイの一般社会に疎いだけなのかもしれませんね。ともあれ、飲酒の習慣は日本ほどではないということは、タイに関しても言えることかと思います。日本人は、酒好きなのでしょうかね。

とても興味深いお話をありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。