黄衣に身を包んだ比丘たち。
きらびやかに装飾された寺院。
空を突く、美しい姿をした仏塔・・・。
私が思い浮べたのは、貝多羅(ばいたら)であった。
貝多羅とは、ヤシの葉っぱなどを加工したものに経典を書いたものである。
貝多羅葉(ばいたらよう)、貝葉(ばいよう)などともいう。
少し仏教に触れたことのある人であれば、「貝多羅」という言葉を多少は耳にしたことがあるのではないだろうか。
その貝多羅をタイでは、現在でも使っているものだと思っていたのであるが、むろんそのようなはずはない。
タイ版の三蔵経典をはじめ、日常の勤行で使われる経本に至るまで、日本と同じ、ごく一般的な洋装本が使われている。
ただし、儀式などのごく限られた場所では、厚紙を細長く折り、貝多羅の形に似せた、伝統に則った形式のものが使われることもある。
これは、おそらく貝多羅を使っていた時代以来の伝統というか、その名残りなのであろう。
日本で言えば、寺では和装本や折本、帖装本が使われることが多いことと似ているのかもしれない。
私の「タイでは貝多羅を使っている」という想像は、「日本では、現在でも侍や忍者が普通に街を歩いている」と、思っている外国人と同じ発想であったわけだ。
ちなみに、実際にタイ人から「今も、日本には忍者がいるのか?」という質問を何度も受けたことがある。
私もタイ人も同じだ。
先輩比丘と作った手作りの貝多羅。 この貝多羅の葉は、私が出家した森の寺の境内に生えていたものだ。 |
・・・私が出家したチェンマイの山奥の小さな森の寺での話である。
私がカレン族出身の先輩比丘に、
「タイでは今でも葉っぱにお経を書いたものを使っているのかと思っていたよ。」
と、話したところ、
「そんなわけないだろう!」
と、笑いながら答えてくれた。
さらに続けて、
「本物を見てみたいかい?
お前が言っているものは、“バイラーン”と言うんだ。
その木は、この寺の中にもあるぞ。
実際に作ることもできるんだぞ。」
と、彼が言った。
私は、思わず大いに興味を惹かれた。
すると、彼がついて来いと言うので、彼の後をついて行った。
「この木の葉っぱで作るんだ。」
連れて来られたのは・・・
寺の境内に生えている、この葉っぱに経文を記すのだという木のところであった。
「昔は、おまえが言うように、この木の葉っぱにお経を書いたんだ。
よし、俺は作り方を知っているから、今度一緒に作ってやるよ。」
そんな会話を交わしたのであった。
後日、その先輩比丘と貝多羅を作ることになった。
さすがは、カレン族出身の比丘だ。
なんともたのもしいではないか!
そして後日・・・
先輩比丘と実際に貝多羅を作ることになった。
切ってきたバイラーンの葉っぱを一定の長さに形を整えて水につけておく。
一度しおれてしまったものは使えないのだという。
ちなみに、長さは、だいたい指から肘(ひじ)までが基本の長さだと教えてくれた。
その葉っぱに釘のようなもので一文字一文字を刻んでいく。
刻んだ文字の上に、炭を砕いて、粉末にしたものを水に溶いて塗っていく。
その後、乾いたら油を塗る。
このようにすると、刻んだ文字の部分に細かな炭が入り込み、黒い文字として定着し、消えないのだという。
ある程度乾いたら、塗ってはみ出た炭などの汚れをきれいにふき取り、さらにしっかりと乾燥させる。
その後、頁の順番通りに紐で綴じて完成となる。
・・・私は、日常使う経本を写すことにした。
一文字一文字、釘のようなもので経を書写していく作業は、「書く」という表現よりも、やはり「刻む」といった表現のほうが適切だ。
バイラーンの葉の繊維は意外にも堅く、はっきりとした文字を書くには、かなりの筆圧で書いていかなければならない。
普段、紙に鉛筆やボールペンなどで書くのとは違い、一行書いただけでも握力がなくなってしまうほどで、とても疲れてしまう・・・。
しかも、一文字一文字を葉っぱに刻んでいくわけであるが、間違っても消すことができない。
修正することができないのだ。
誤字・脱字・書き損じなどは、絶対に許されない。
極度の集中力が要求される。
「おい、間違ったよ!」
「もう疲れたよ!!」
と、私がついついこのようにつぶやくと、先輩比丘は「しょうがない奴だ」とでも言いたげに、笑いながら言った。
「昔の人は、とても集中力があったんだ。」
・・・一文字一文字を写し、刻みながら先人の苦労をおもわずにはいられなかった。
昔は、コピー機もなければ、印刷する機械もない。
今に伝わる三蔵経典は、インドで編纂されたのち、おそらくこのようにして何度もたくさんの人々の手を経て、伝持されてきたものなのであろう。
きっと書写専門の職人もいたのかもしれない。
一体、何人の人々の努力のうえに今日この経典を目にすることができるのだろうか・・・
こうして大切に仏教の経典が伝えられてきたおかげで、私達は仏教を学ぶことができるのである。
その当時は、どのような方法で貝多羅が作られていたのかということの詳細まではわからないが、少なくともその断片を今、実際に私の手で体験できたように感じた。
私が、先輩比丘と作った貝多羅は、今も私の部屋にある。
一緒に作ったあの日から数年を経た私の手作りの貝多羅は、やはり素人が作ったものだけあって、博物館などで目にするものほどきれいではない。
はっきりと文字が読み取れるページもあれば、刻んだ文字が薄くて読みづらいページもある。
葉っぱが縮んでしまって、歪んでしまっているところもある。
しかし、しっかりと乾燥していて、それなりにいい仕上がりだと思う。
最後に先輩比丘が記念にと、貝多羅の経本の表題をチェンマイ文字で刻んでくれた・・・先輩比丘がチェンマイ文字で表題を書き入れてくれた表紙が今も私の貝多羅を飾っている。
(※チェンマイ地方には、タイ語・タイ文字とは異なるチェンマイ語・チェンマイ文字が伝えられている。)
(※貝多羅の製作方法には、いくつかの方法があるようであるが、この記事は、実際に行った方法と製作過程を紹介したものである。)
・・・あの時、先輩比丘と作った貝多羅。
古の人々は、どのように仏教を学んだのだろうか。
何度も何度も貝多羅をめくり、繰り返し繰り返し仏典を読んできたのであろうか。
貝多羅を作りながら、胸が熱くなったことを覚えている。
手作りの貝多羅・・・これを見ていると、どこからかブッダの声が聞こえてきそうに思う。
タイで購入したブッダの伝記『ブッダの生涯』の挿絵より。 |
法は世尊によって善く説かれたものであり、
修行を実践する者が自ら見るべきものであり、
その実践は、ただちに善い結果をもたらすものであり、
その努力により実証されるものであり、
人々を理想の境地へと導くものであり、
賢者たちの観察や実践により、各自に知られるべきものである。
※2008年4月12日掲載の『貝多羅』に加筆・修正・編集を加えたものです。
(『先輩比丘と作った貝多羅の思い出』)
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