僧の生活のなかでは、日本の生活から考えれば非常に窮屈にも思える、しかしタイの生活では常識でもある僧としてやってはいけないことがある。
タイでは町を歩けば、あちらこちらで僧の姿に出会う。
タイを旅した人にとっては、敬虔な仏教国に来たのだと実感する瞬間でもあるだろう。
ところが・・・
夜になると、街中のあちらこちらに、あれだけいたるところで見かけた僧の姿が、どこへいってもいなくなってしまう。
タイでは、夜間に僧の姿はない。
そう、タイでは基本的に僧は、夜間は寺の外へ外出することができないのである。
夜間は寺で過ごさなければならないのである。
したがって、僧が夜の町や夜の歓楽街に姿を現すこともないだ。
バンコクやチェンマイなどの大都市では、大きなデパートがある。
バンコクに伊勢丹があることは、多くの日本人が知るところだ。
日本と同じく近代的なビルにオシャレな店舗が入るデパートでのショッピングは、やはりタイ人にとっても楽しみのひとつ。
しかし、原則として、僧はそのようなデパートへの立ち入りはしてはいけないことになっている。
ゆえにデパートの中では、町の中であれだけ頻繁に見かけた僧の姿を見ることはないのだ。
不思議に思うかもしれないが、要するに、僧とは出家者であり、在俗の者ではない。
修行に専念する者として好ましくないことは必要がないので、避けよということである。
銀行もまた僧がいない場所のひとつである。
それは、僧はお金を所持してはいけないことになっているからだ。
よって、お金を持って僧が銀行へ出入りするという姿をめにすることはない。
通常、寺のお金の管理や運営全般は、専属の在家者が行うのが通例である。日本で言えば総代さんといったところか。
もうひとつ。
タイの僧は、自転車をはじめバイクや車などの乗り物に乗ってはいけないことになっている。
正確に言えば、運転をしてはいけないことになっている。
それゆえ、タイでは、
『僧が車を運転している姿』
『僧がバイクを運転している姿』
『僧が自転車を運転している姿』
を見かけることはない。
僧の移動手段は、歩くことだけである。
しかし、長距離の移動が必要なこともある。
その時には、在家の者が僧を乗せていく。
寺には、その寺専属の運転手をかかえていることも多く、その者が目的地まで乗せて行く。
窮屈とも思えるが、修行のために必要なのかどうかという観点考えてみれば、必要のないことであるのも納得できる。
タイは、仏道を歩む者に対して支援をする土壌があり、仏道を歩む者に対して敬意がはらわれる。
それは、修行に出家者を専念させることでもあり、また専念せよということでもある。
インド以来の「出家」が今も生きている・・・
(『お坊さんがいない場所』)
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