タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2026/09/19

タイの仏伝を訪ねる ~同じ釈尊なのになぜ違うのか?~

 

日本の仏伝とタイの仏伝を比較してみると、非常に面白い。


タイの仏伝には、日本ではあまり知られていない場面や、馴染みのない場面がいくつか描かれている。


ここでは、その代表的なものを2つ紹介したいと思う。



仏伝を詳しく調べてみると、その背景や歴史など、なかなか奥深いものがあり、到底言い尽くせるものではない。


日本は大乗仏教(北伝仏教)であるし、タイは上座仏教(南伝仏教/テーラワーダ仏教)だ。


受け継がれてきた経典やその教えが異なるし、さらには地域の信仰や文化も異なるため、仏伝の描かれ方にも違いが生まれたのであろう。


タイでは、寺院の壁画に釈尊(ここでは釈尊という表記で統一する)の生涯を描いた“仏伝”や、釈尊の前世の物語である“ジャータカ”が描かれることがある。


経典という“文字”とともに、壁画という“絵”を通して仏教の物語が人々の心へと受け継がれてきたのである。


そうして描かれた釈尊の生涯のなかで、同じ場面を描いたものでも、日本のものとは異なる場面がある。


それが、『降魔成道(ごうまじょうどう)』の場面である。


タイではとても身近で、広く親しまれている印象的な場面のひとつだ。


日本においても釈尊の生涯のなかでも最も重要な場面のひとつであることに変わりはないが、日本とは少し“描かれ方”が違うのだ。





降魔成道(ごうまじょうどう)
イラスト:たーれっく氏


降魔成道図の解説
イラスト:たーれっく氏
(※掲載の許可をいただいています。)






悟りを開こうとする釈尊の前に、魔王・マーラが現れ、悟りを妨げようとする。


マーラが釈尊に『お前に悟りを証明するものはあるか?』と迫ると、釈尊は右手で大地に触れた・・・すると、大地の女神・メートラニー(プラ・メー・トラニー)が現れた。


メートラニーは、釈尊が過去世から積み重ねてきた功徳の証人として、自らの髪の毛を絞ると、そこから流れ出た水が大きな洪水となり、マーラとその軍勢たちを押し流して撃退した。


そして、ついに釈尊は、マーラたちの誘惑と妨害を退け悟りを開いた・・・という場面を描いたものである。


マーラの軍勢が釈尊の悟りを邪魔しようとする場面は日本も同様であるが、大地の女神であるメートラニーが現れるというところが特長的だ。


日本ではあまり知られていない、ドラマティックかつインパクトのある逸話だろう。



もうひとつ紹介したい。


『三道宝階降下(さんどうほうかいこうげ)』の場面である。






三道宝階降下(さんどうほうかいこうげ)
イラスト:たーれっく氏

三道宝階降下図の解説
イラスト:たーれっく氏
(※掲載の許可をいただいています。)






釈尊が悟られてから7日後に母であるマーヤー夫人はこの世を去ってしまう。


この世を去った後、マーヤー夫人は三十三天(忉利天)に生まれたとされ、釈尊は雨安居の3ヵ月の間、忉利天へと昇ってマーヤー夫人に説法した。


亡き母への3ヵ月間の説法を終えた釈尊が忉利天から地上の世界へと戻る際に、三本の宝の階段(向かって右側:金、向かって左側:銀、中央:さまざまな宝石)を通って降り立った・・・という場面を描いたものである。


この時に釈尊が降り立ったとされる場所として伝承されているのがインドの『サンカシャ』である。 


この場面は、日本人にとってはあまり馴染みのない場面かもしれないが、タイでは多くの仏伝に描かれている。


馴染みのない場面だけに、非常に印象的な場面なのではないだろうか。



日本ではあまり馴染みのない場面を2つ紹介した。


どちらもタイでは、誰もが知る釈尊の生涯の一場面だ。


同じ仏伝でも伝承が違っていたり、日本へ伝わってはいても仏伝としては採りあげられることが少なかった逸話など、掘り下げて吟味してみると非常に深い。



南伝と北伝とでは、仏教が伝わった地域や伝承の違いによって、仏伝の内容そのものが異なっていたりするため、そこに描かれる場面にも必然的に違いが見られる。



しかし、いずれにしても仏伝は、単なる釈尊の生涯を知るための『物語』であるのではない。


そこに描かれた釈尊の生き方や実践を通して、私たちはどのように生きるのかを学ぶための生きた教えでもあるのだ。


それは遥か遠い昔の物語として終わるものではなく、私たちが今日という一日を、今この瞬間をどのように生きるのか・・・?という問いと実践につながっていないといけない。


それでこそ、はじめて仏伝の意味があるのだと思う。






【イラストのご協力】


たーれっく氏

タイ・バンコク在住の漫画家。
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(『タイの仏伝を訪ねる ~同じ釈尊なのになぜ違うのか?~』)






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